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【大学野球の名将・太田誠物語(4)】中興の祖から重い要請 35年間の戦いの始まり

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【大学野球の名将・太田誠物語(4)】
中興の祖から重い要請 35年間の戦いの始まり

駒大監督として指揮を取る太田誠さん。数々の記録達成の原点は藤田俊訓学監との約束だった=神宮球場

 社会人野球の電電東京(現NTT東京)で8年間の選手生活を送った私は昭和41年、現役を退きました。当時30歳で「まだできる」との声もありましたが、社会人として仕事を覚えるには潮時と考えたのです。

 配属先は世田谷電話局の営業部門で、係長として技師とともに管内の電話線のチェックや敷設を行うサラリーマン生活が続きました。母校・駒沢大学は私の担当管内で、当時は学園紛争のまっただ中。大学の主な建物は学生たちに占拠され、電話線も混乱状態となっていました。現場で覆面姿の学生たちに「電話が使えなかったら困るだろう」と語りかけながら修復作業を行ったのですが、学生たちは黙認してくれた。こうしたこともあり、駒大では「電話のことなら太田に頼め」という雰囲気になっていました。

電話線工事きっかけに再び駒大に

 駒大から「学監の入院先に直通電話を引いてくれないか」との依頼が来たのは学園紛争からおよそ2年後のことです。駒大は16世紀に建てられた曹洞宗の学寮「旃檀林(せんだんりん)」が起源で、学監と呼ばれる僧籍のある方が運営全体を統括します。当時の学監は藤田俊訓さんで、入院先で重職をこなしていたのですが、電話がなくて困っていた。藤田学監は東京・元麻布にある賢崇寺の住職で、二・二六事件で「逆賊」として処刑された陸軍の青年将校らの遺骨を引き取って埋葬した人物です。官憲の妨害や世間の目をよそに「仏に罪はない」と合同慰霊祭まで行った気骨の人で、学監となってからは豪胆な財政再建を進め、「駒沢中興の祖」と呼ばれています。初対面で藤田学監は凛(りん)とした姿勢で「この部屋に電話を引いてくれないか」と声をかけてくれた。電話の敷設は無事に終了したのですが、この出会いが駒大野球部との縁を再び結ぶきっかけとなったのです。

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