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【昭和天皇の87年】軍服を着た11歳の皇太子 だが本心は「博物博士になりたい」

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 翌年3月25日、熱海御用邸から戻った裕仁皇太子は東京・高輪の東宮仮御所に移り住んだ。赤穂浪士が切腹した場所、肥後細川家の下屋敷跡地に建てられたもので、敷地総面積11万4000平方メートル。和風2階建ての御座所のほか、西洋館、図書館、雨天体操場などもあった。

 だが、雍仁親王や宣仁親王のいる東京・青山の皇子仮御殿とは離れている。

 公務などの事務を行う東宮大夫は大審院判事や司法相を歴任した波多野敬直、東宮武官長は山根一貫、東宮侍従は本多正復や甘露寺受長ら。彼らは、裕仁皇太子の生活環境の激変を気遣い、兄弟で昼食をとるなどの機会を積極的につくったようだ。

 同年5月1日には、東宮仮御所と皇子仮御殿を結ぶ卓上電話が設置され、《これより毎夕十分程度、(雍仁親王や宣仁親王と)電話にて話されることとなる》(4巻29頁)。

 新たな“御相手”もできた。

 4月27日《天皇よりキクと名づけられた犬(グレーハウンド種)を賜わる。御帰殿後、キクをお相手に過ごされる》(4巻28頁)

 中にはこんな“珍客”も。

 7月6日《蟻地獄を御採集になり、これ以降約二十日間、御自身にて餌をお集めになり、御飼養になる》(4巻38頁)

 だが、長年生活を共にした兄弟に勝るものはない。

 10月7日《東宮武官長山根一貫に謁を賜う。その折、来る十一日に、近衛歩兵第一聯隊へ行啓されたき旨の言上を受けられる。しかるに同日は雍仁親王・宣仁親王との御対面を恒例とする土曜日であることを涙ながらに訴えられ、土曜日以外への変更を求められる》(4巻58頁)

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