【志らくに読ませたい らく兵の浮世日記】粋な春風亭正太郎兄さん兄さんに捧げる、ちょいとやぼな都々逸です - 産経ニュース

【志らくに読ませたい らく兵の浮世日記】粋な春風亭正太郎兄さん兄さんに捧げる、ちょいとやぼな都々逸です

 春風亭正太郎兄さん。ニイさんではなく、アニさん。落語協会所属で、私の同期の先輩です。平成58年入門。兄さんの方が4カ月ほど早い。兄さんのことは入門前から存じ上げているのです。お互いに落語をやってましたので。素人落語。天狗連というやつです。
 初めは何かの落語会で一緒になったんでしょうけど、もう14、5年くらい前のことですので、あまり記憶にございません。ただ覚えているのは、兄さんは素人の頃から落語がすごくうまかったということ。初めて聴いたのは「湯屋番」だったか。
 落語がうまいのはもちろんですが、いろいろと話を聞いてみたら塾の講師をしているとのこと。生まれもってしゃべるのが得意な人が、人前でしゃべったり、教えたりという仕事をしているのだな。それなら落語をやってうまいのは当然かなぁと思いました。
 さらに話を聞いてみると、本当は落語家になりたい夢があって、それを諦めきれずに過ごしている、と。もちろん私も、のちに落語家になったのですから、当時は同じ気持ちで日々を過ごしておりました。
 私はその頃、師匠、立川志らくの落語講座「らく塾」に通っていました。素人として落語を教わっていたのです。そして落語仲間と会うときは、お互いの高座名とか、本名で呼び合ってました。兄さんは「小杉さん」。私が「中間さん」。
 何度か落語会で一緒に出演したりしながら、一年くらい過ごしましたか。ある日のこと入門したんです。小杉さんが。春風亭正朝師匠に入門したとのことでした。
 最初は「着物のたたみ方、お茶の出し方、色んなことを教わってる」というような連絡をもらっておりました。そのうち、初高座に上がるという知らせをもらいましたので、聴きに行きました。練馬区光が丘の「IMA寄席」。演目は「からぬけ」でした。初高座だけど、お客さんは笑っていた記憶があります。
 そのあと、正朝師匠が高座に上がられて、「着物を着慣れていませんので、着崩れしてしまって、しょうがないやつです」というようなことをおっしゃいました。その言葉のどこかに、一番弟子に対する愛情を感じました。
 初高座に上がっている小杉さんは、いつもよりずいぶん小さく見えました。
 それもそのはず、会場のIMAホールは最大で500人も入れるとのこと。ずいぶん大きなホールです。まさか入門する前に、そんな大きなホールの高座に上がっている小杉さんを見たことはありません。小杉さんが急に小さくなったのではない。舞台が大きかっただけ。
 小杉さんの飛び込んだ世界が、私にはそれだけ大きく見えたのです。
 私は当時、自分が落語家になれるかどうか迷っていたのですが、小杉さんの、いえ、春風亭正太郎さんの高座を見て、改めて思いを強くしたのでした。
 「俺も落語家になりたい!!」
 その後、結局は私も落語の世界に入りました。ですので、兄さんの呼び名は春風亭正太郎兄さん。お互いに、見習い、前座と過ごしてきて今は二ツ目。ゆくゆくは真打ちになることが当面の目標です。
 兄さんは明るく朗らかで人当たりが良くて、落語にもその人柄がにじみ出ています。私が兄さんの落語で好きなのは、「五目講釈」「堪忍袋」「寝床」「船徳」「湯屋番」「明烏」。ずいぶんあるなぁ。そういえば兄さんは落語の若旦那がよく似合う。というか生まれも育ちも含めて、若旦那そのもの、という気もしてきます。
 細かいことにクヨクヨしない、粋な笑顔の、いい男。
 むむっ。なんだか都々逸みたいになってきた。
 兄さんは二ツ目になってからの活躍がまた素晴らしく、さがみはら若手落語家選手権優勝、北とぴあ若手落語家競演会大賞、前橋若手落語家選手権準優勝と、若手落語家の登竜門といわれる会で、次々に受賞しています。
 入門したとき、ちっちゃく見えた、人が大きく、見えてきた。
 む、む、む。またまた都々逸みたいになってきた。とりあえず、粋な兄さんにささげる、ちょいとやぼな都々逸でした。
 くそう! どうでもいいけど、落語家が書いたとは思えない、このムダにさわやかな文章は何だ! 好青年過ぎるぞ! 俺! 責任取ってください! アニさん!!
 らく兵の落語会 東京・渋谷の宮益坂十間スタジオ Aスタジオで「らく兵の落語おろし」という、すべて師匠・立川志らくがらく兵のために自身の十八番をチョイスしたネタと他一席の勉強会を行っている。次回は10月23日(火)午後7時開演。問い合わせは、立川企画(電)03・6452・5901。
 らく兵 宮崎県出身。平成18年6月、立川志らくに入門。24年4月、二ツ目昇進。