金足農だけじゃない!! 53年前にもさわやか旋風 初出場初優勝の三池工が演じた戦い

高校野球通信
甲子園球場近くの宿舎で、ジュースで乾杯する原貢監督(前列左から3人目)と三池工ナイン=1965年8月22日撮影

 8月に行われた第100回全国高校野球選手権大会では金足農(秋田)の躍進ぶりが注目を集めたが、53年前、1965年の第47回大会で旋風を巻き起こしたのが同じ公立で初出場初優勝の偉業を遂げた三池工(福岡)だ。金足農は農業高校初の全国制覇に一歩及ばなかったが、三池工は工業高校でこれまで唯一、夏の甲子園を制したチームでもある。

 三池工を率いたのは原貢(みつぐ)監督=2014年、79歳で死去。巨人の原辰徳前監督の実父で、エースの菅野智之投手の祖父に当たる。当時は東洋高圧工業(現三井化学)大牟田工業所に勤務し、夕方からチームを指導するサラリーマン兼務の監督だった。

 チームは2年生左腕の上田卓三(元南海=現ソフトバンクなど)の好投もあり、1回戦では優勝候補と目された高松商(香川)に延長十三回、2-1でサヨナラ勝ちして波に乗る。

 2回戦で東海大一(静岡=現東海大付属静岡翔洋)、準々決勝で報徳学園(兵庫)、準決勝で秋田を次々と撃破。そして8月22日の決勝で対戦したのは、優勝候補と前評判の高かった銚子商(千葉)だった。金足農の決勝戦で立ちはだかった相手が2度目の春夏連覇をねらう大阪桐蔭だったのと状況は似ていた。

 銚子商のエースは、この年秋の第1回プロ野球ドラフト会議で東京(現ロッテ)に2位指名されて入団、通算112勝を挙げる超高校級右腕の木樽正明だった。だが、苦戦の予想された三池工ナインは堂々の戦いぶりをみせる。

 両チーム無得点で迎えた七回の攻撃で三池工は木樽のカーブに的を絞る。1死後、林田俊雄が遊撃内野安打で出塁。池田和浩は四球を選び、続く瀬川辰雄は三振に倒れたが、2死一、二塁から穴見寛がカーブを左前適時打し、ついに先制点をもぎ取った。

 さらに二、三塁から相手のバッテリーミス(記録はパスボール)で貴重な2点目を追加。エースの上田はゆったりとしたフォームからコーナーを突くカーブがさえ渡り、銚子商の強力打線にわずか3安打しか許さず完封。決勝の大舞台でジャイアント・キリング(大番狂わせ)を実現した。

 無名校のナインを猛練習で鍛え上げ、全国の頂点へ立った原監督は、「チームの和と、根性の勝利です。一人一人の力の結晶です。負けてもともと、欲はありませんでした」(同年8月23日付サンケイスポーツ)と涙をこらえながら喜びを口にした。

 三池工の立地する福岡県大牟田市は三池炭鉱で有名だが、当時は労働争議(三池闘争)や大勢の犠牲者を出す炭塵(たんじん)爆発事故があり、街の雰囲気は沈んでいた。家族が炭鉱関係者の選手もいた三池工の優勝は地元を活気づける久しぶりの明るい話題となり、大牟田市や九州だけでなく、全国の高校野球ファンの胸を打った。

 ノンフィクション作家の沢宮優さんは著書「炭鉱町に咲いた原貢野球」(集英社文庫)の中で「優勝が炭鉱不況という時代の流れの中での清涼剤となり、若い素朴な高校生と青年監督の力が、激しい争いを続けた大人たちの感情を一つにし、明るくさせた(中略)そんな不思議な力が高校野球には、すべてのスポーツには本来ある」とつづっている。

 白球を追う高校生は、これからもさまざまなドラマを見せてくれるに違いない。(運動部 三浦馨)