【平成の証言】「ワールドカップは勝たなくては何も残らない。甘くなかった」(10年3月~9月) - 産経ニュース

【平成の証言】「ワールドカップは勝たなくては何も残らない。甘くなかった」(10年3月~9月)

サッカーW杯フランス大会を全敗で終え、記者会見する岡田武史監督=平成10年6月27日
 31年4月30日の終わりに向けてカウントダウンが始まった平成時代。私たちが受け止め、発した言葉は時代の証言となって「あのとき」をよみがえらせます。「平成の証言」を、元年からひと月刻みで振り返ります。
平成10年3月
 「総裁として重大な責任を感じている。こうした事態(職員逮捕)に至ったことは誠に遺憾で深くおわびしたい」(日本銀行の松下康雄総裁)
 大蔵省に端を発した接待汚職で、東京地検特捜部は11日、収賄容疑で日銀営業局証券課長の男を逮捕した。銀行から飲食店やゴルフ場で多額の接待を受けた見返りに、景気動向に関する機密資料を報道発表前に漏らすなどしていたとしている。同日会見した松下氏は、20日に引責辞任した。
 接待汚職では、三塚博蔵相も辞任、同省の112人が処分され、自殺者も出るなど深い傷を残した。
10年4月
 「旅行や仕事で海外に行ったときに余ったドルが使えるので、とても便利ですね」(東京・神田の「5ドルラーメン店」で、OL)
 1日、日本版ビッグバンと呼ばれた金融システム改革が始動し、為替管理がほぼ全廃される改正外国為替法が施行された。身近な変化では、街に円よりドルの方が安くなる5ドルラーメンや、ドル払い可能なレストランが登場。当時の本紙は喜ぶOLの声を伝えているが、20年後の今、どれだけ定着しているのか…。東京・池袋の家電量販店では、手持ちの外貨を円に両替する外国人客が約30人訪れたという。
10年5月
 「自民党一党だったら、戦後50年の歴史観を披瀝(ひれき)することはなかったろう。(自社さ政権は)大変貴重な経験だった」(社民党の土井たか子党首)
 30日、社民党と新党さきがけの連立政権離脱が決まり、土井氏は会見で、4年続いた自社さ政権で「村山談話」など社民(談話当時は社会党)が果たした役割を強調した。ただ、与党離脱には党内で葛藤があり、本紙は「展望なき協議離婚」と評した。
 この前月には旧民主、民政、新党友愛、民主改革連合により新しい民主党(後の政権与党)が結成。政界は7月の参院選に向け激しく動いた。
10年6月
 「ワールドカップ(W杯)では、いい試合でも勝たなくては何も残らない。分かっていたことだが、W杯はそう甘くなかった」(岡田武史監督)
 日本にとってサッカーW杯初挑戦となったフランス大会。アルゼンチン、クロアチア相手にともに0-1で敗れ、岡田監督が「勝ちに行く」と臨んだ26日のジャマイカ戦も1-2で及ばず、3戦全敗で終わった。
 岡田監督は試合後、「勝てる試合を勝てなかったのは僕の責任だ」と辞意を表明。唯一の得点を挙げた中山雅史選手は4月にJリーグで4試合連続ハットトリックを決めていたが、世界の壁は厚かった。
10年7月
 「一緒にカレーを食べよう」「会場では一番にカレーを食べるぞ」(亡くなった和歌山市園部の小学4年、林大貴君)
 新聞は自治会の夏祭りを楽しみにしていた10歳の少年の言葉を伝えていた。25日、和歌山市でカレーを食べた参加者が吐き気や腹痛などを訴え、少年を含む4人が死亡、63人が急性ヒ素中毒を発症した。
 和歌山県警は12月、カレー鍋にヒ素を混入させたとして殺人と殺人未遂容疑で、同じ自治会に住む元保険外交員、林真須美容疑者を逮捕した。事件後、全国で毒物混入事件が連鎖反応のように起きた。
10年9月
 「今日は1点も与えない投球をしたかった。このメンバーでもう一度日本一になりたいと思っていたから」(横浜高の松坂大輔投手)
 22日、夏の甲子園大会決勝で、松坂投手は京都成章高を相手に3四球のみで安打を許さず、夏の決勝では59年ぶりのノーヒットノーランを達成した。横浜高は春夏連覇。準々決勝ではPL学園相手に延長十七回、250球を1人で投げて勝利しており、2日後のノーヒットノーランは「平成の怪物」の異名にふさわしい活躍だった。プロ野球西武に入団した松坂投手は翌年、最多勝と新人王を獲得する。
10年9月
 「今も毎晩1本ぐらいずつ、溝口健二や小津安二郎らのシャシン(映画)を見ていますよ。うめえなあと思って、勉強している」(黒澤明監督)
 このインタビューが行われたのは82歳当時の平成4年。晩年に至っても学び続け、「やりたいものがたくさんあって困ってる」と記者にこぼした。
 10年9月6日、「世界のクロサワ」が88歳で亡くなった。ベネチア国際映画祭グランプリの「羅生門」をはじめ、「七人の侍」「生きる」「椿三十郎」「天国と地獄」「影武者」…。遺作となった5年の「まあだだよ」まで、珠玉の30本を残した。