旧ソ連小国の「革命」、いらだつプーチン政権 民主化・民族自決へロシア離れの象徴に アルメニア・遠藤良介

特派員発
アルメニアの首都エレバンの共和国広場で17日夜、「革命から100日」を祝う集会に集まり、演説に歓声を上げる人々(遠藤良介撮影)

 旧ソ連の小国で起きた「革命」の行方を、ロシアのプーチン政権が神経質に注視している。人口約293万人のアルメニアで今年春、大規模な街頭デモで親露派のセルジ・サルキシャン首相(64)が退陣に追い込まれ、ジャーナリスト出身の民主派指導者、ニコル・パシニャン氏(43)が政権に就いた政変である。アルメニアの「革命」は、民主化や民族自決を求め、「ロシア離れ」を進める旧ソ連諸国の動きを象徴している。

 8月17日夜、アルメニアの首都エレバン中心部の共和国広場と周辺の道路を、数万人の老若男女が埋め尽くした。「革命から100日」を祝う集会は、新政権を支持する大衆の熱気がなお冷めていないことを示していた。

政権居座りに怒り

 「ちょうど100日前、あなた方の行動が私を首相に就けた。皆さんが勝利したのだ。世界中が予想しなかったことだ」

 広場の特設ステージから、パシニャン氏が高い声を張り上げて演説した。

 「今、アルメニアには古代ギリシャのような直接民主制がある。連立政府も議会多数派も関係ない。大衆が権力を形成するのだ。重要なことは全て、この広場で皆さんに問いたい」

 ひときわ大きな喝采が上がったのは、「汚職との戦い」を改めて強く宣言したときだった。「30年間にわたって奪われた金を残らず取り戻す!」。「ニコル、ニコル」の大歓声が、石造りの建物に囲まれた広場に響き渡った。

 アルメニア情勢が流動化したのは4月だった。2008年から大統領を務めた親露派のサルキシャン氏が、首相に転じて政権に居座ることになり、パシニャン氏の率いるデモが膨れあがっていったのだ。

 サルキシャン前政権が15年に行った改憲が伏線だった。アルメニア憲法は大統領任期を2期10年までと定めていたが、前政権は、大統領権限の大半を首相に移し、首相を実質的な権力者とするよう憲法を改定した。

 サルキシャン氏は「首相になるつもりはない」と繰り返し表明していたが、今年4月に大統領2期目を終えると、すぐに議会で首相に選出された。

 「それまでも奨学金や徴兵をめぐる問題で学生の反政権運動はあった。サルキシャンが首相に就いたことで、蓄積していた大衆の怒りが破裂した。人々は、これを市民としての尊厳にかかわる問題だととらえた」

 パシニャン氏の陣営でデモの組織に携わったワハン・コスタニャン氏(23)は振り返る。

 議会では、サルキシャン氏を支持する勢力が圧倒的で、パシニャン氏の母体会派「エルク」は105議席中わずか9議席しか占めていない。しかし、街頭には最大時で約16万人が繰り出し、議会に圧力をかけた。

 パシニャン氏は、1989年の旧チェコスロバキアの無血民主化革命に名を借り、「ビロード革命」を成功させると宣言。大衆はサルキシャン氏の辞任とパシニャン氏の首相選出を要求し続けた。

 4月23日、デモ隊がエレバンの幹線道路を封鎖し、軍人の一部も制服姿でデモに合流。治安部隊との衝突と流血も懸念された中、サルキシャン氏は「私が間違っていた」と辞任を表明した。議会では、2度目の投票で与党がパシニャン氏支持に流れ、同氏は5月8日に首相に選出された。

領土問題で庇護必要

 旧ソ連圏をめぐっては、ジョージア(グルジア)で2003年、選挙不正疑惑に抗議する大規模な街頭行動が起こり当時の政権が崩壊、親欧米派のミハイル・サーカシビリ氏(50)が翌年大統領に就任した。急進的な親欧米路線をとったジョージアとロシアの対立は深まり、08年には軍事衝突する事態となった。

 ロシアの“兄弟国”といわれたウクライナでも14年2月、大規模デモで親露派のビクトル・ヤヌコビッチ政権が崩壊した。デモは、同政権がロシアの圧力で欧州統合路線を棚上げしたことを契機としていた。人々は政権や官僚機構の腐敗にも抗議し、これを「革命」と位置づけた。

 ロシアは親欧米派の権力掌握に憤激し、ロシア系住民の多いウクライナ南部クリミア半島を一方的に併合。さらにウクライナ東部の親露派勢力を軍事支援し、同国政府軍との紛争をたきつけた。ウクライナ東部での紛争の死者は1万人を超えた。

 アルメニアは歴史的に「親露的」とされ、ジョージアやウクライナとは立ち位置が異なる。アルメニアは露軍事基地を擁し、ロシアを盟主とする集団安全保障条約機構(CSTO)の加盟国でもある。

 アルメニアは隣国アゼルバイジャンとの間でナゴルノカラバフの領有権問題を抱えており、ロシアの軍事的庇護(ひご)がなければアゼルバイジャンに対抗できない特殊事情がある。

 パシニャン氏は首相就任後、「ロシアとの関係が変わることはない」と力説する一方、「欧米との関係も重視する」といった慎重な対外方針を示している。

 政治学者のステパン・グリゴリャン氏(64)は、こうパシニャン氏の立場を代弁する。

 「民主主義の道を歩むなら欧州との連携が必要なのは自明だ。同時に、ナゴルノカラバフ問題がある限り、ロシアを最重視せねばならない。前政権のようにロシアの奴隷となるのではなく、ロシアと対等のパートナーシップを築くべきなのだ」

当初は静観の構えも

 プーチン露政権は当初、アルメニアの政権交代に「反露色」が薄いとみて静観する構えを見せた。

 だが、アルメニア大衆の怒りは、長期政権の強権統治や腐敗、政権に近い富豪による主要ビジネスの独占、政権に従属する恣意(しい)的な司法など、ロシアに類似した政治・経済運営に向けられたものだ。

 過去の弾圧や汚職の追及を宣言するパシニャン新政権の下、大統領経験者や現職のCSTO事務局長らロシアと関係の深いエリートが続々と訴追され始め、プーチン政権はいらだちを募らせている。

 プーチン政権は、自国への「革命」波及を警戒するがゆえに、ジョージアやウクライナの政変に強く反発した。露反体制派の指導者からは「アルメニアの出来事はロシアにとってすばらしい手本だ」との発言も出ている。

クリミア・経済低迷…旧ソ連諸国は警戒感

 プーチン露大統領は旧ソ連諸国の経済統合を優先課題に掲げ、2015年には一部の国で「ユーラシア経済連合」を発足させた。しかし、それとは裏腹に、この地域では「ロシア離れ」や欧米への接近が着実に進行している実態がある。

 ウクライナ南部クリミア半島の併合や同国東部への軍事介入により、ロシアに対する周辺国の警戒感が高まったことが大きな理由だ。ロシア経済の低迷や米欧との関係悪化などで、ロシアの求心力が低下していることも背景にはある。

 親露国として知られてきた中央アジアのカザフスタンは昨年、自国語の文字表記を25年までに、ロシア語と同じキリル文字からラテン文字へと段階的に変更することを決めた。ラテン文字への移行は「21世紀のコミュニケーションに適応するためだ」と説明されているが、根底には民族主義の高まりと欧米志向がある。

 中央アジアの5カ国は今年3月、カザフの首都アスタナで非公式の首脳会合を開催した。各国は民族や領土、水資源をめぐる問題で対立してきた経緯があり、域内首脳だけの会合は約13年ぶり。ロシアが国際的に孤立する一方、中国が中央アジアへの経済的影響力を増しており、5カ国が結束して対外的な発言力を高める狙いがある。

 親欧米路線のジョージア、ウクライナ、モルドバの3カ国も今年、議員会議を発足させるなど接近を強めた。3カ国は、ロシアに国土の一部を不法占拠されていたり、国内に親露分離派地域を抱えている共通点がある。安全保障やエネルギー政策などの面で、結束してロシアに対抗する方針だ。

ナゴルノカラバフ 旧ソ連アゼルバイジャン西部の自治州。古くからアゼルバイジャンとアルメニアの領有権争いの舞台となってきた。ソ連時代末期、現地で多数派のアルメニア系住民がアルメニアへの帰属変更を求めてアゼルバイジャンと対立し、両国の紛争に発展。1994年、ロシアの軍事支援を受けたアルメニア側が自治州の実効支配を確立した状態で停戦となった。その後の和平交渉は膠着(こうちゃく)し、戦闘が散発する状況が続いている。