【酒と海と空と】(3)若手記者が体験 3年目の佐渡「辛口産経」造り 麹は「上品な和菓子の味」 - 産経ニュース

【酒と海と空と】(3)若手記者が体験 3年目の佐渡「辛口産経」造り 麹は「上品な和菓子の味」

酒米に麹菌を振りかける太田記者。後ろで見守るのは杜氏の中野さん(左)
「こぼしたらいけない」。緊張しながら酒母をオレンジ色の瓶に入れ、タンクまで運ぶ太田記者
脚立の上にいる蔵人に酒母の入った瓶を渡す。酒母はタンクの上部から投入する
木々が鬱蒼と生い茂る真野御陵=新潟県佐渡市
閑静な真野御陵。柵の向こうに鳥居が見える=新潟県佐渡市
 産経新聞社が、佐渡の地域振興を支援しようと始まったオリジナル酒「辛口産経」の製造が今年で3年目を迎え、新潟支局の若手、入社2年目の太田泰記者が1週間、佐渡に泊まり込んで酒造りを体験した。その様子を6回にわたりリポートする。
しっかり朝ご飯
 7月15日。佐渡に来てから、3日目の朝を迎えた。朝食を食べずに力を出し切れなかった昨日の反省をふまえ、いつもより早めに布団をはい出すと、用意された旅館で朝食を大急ぎでかきこみ、愛車に飛び乗った。午前7時40分ごろに学校蔵に着くと、体験者の1人である山沢五月さんが聞いてきた。
 「今日は朝ご飯、食べてきたんですか」
 「しっかりと食べてきましたよ」
 杜氏(とうじ)の中野徳司さん(42)に「おはようございます」とあいさつし、麹室に入る。今日の最初の仕事は「出麹」と呼ばれる作業。麹室に入ると、昨日までと違い、甘い香りが部屋中に充満していた。「米はどうなったのだろう?」と思い、よく見ると小さい糸のようなものが生えている。どうやら菌はしっかりと繁殖しているようだ。
 「食べてみてもいいよ」と、中野さん。少しだけ手にとって恐る恐る口に運ぶと、かすかな甘みが口に広がった。なんとなく和菓子を食べているような、上品な味だ。
 麹の塊を手でほぐし終えると、麹を冷蔵庫に移す。運ばれた麹は、使うときがくるまでは冷蔵庫に保管されることになる。
こぼしたら大変
 午前8時半ごろから、ボイラーの点火を見学する。今回使っている甑(こしき)は300キロほどの米を蒸すことができるが、「一挙に1トンを蒸すことができる甑もあるので、まだまだ小さい方です」と、蔵人の高津知幸さん(23)が解説してくれた。
 この時に蒸していたのは、昨日のうちに洗米した酒米60キロ。50分ほどで蒸し終わると、1日目にやったのと同じように汗だくになりながら米を手でほぐし、麹室に運ぶ。
 今度は仕込み室に移動し、酒母をタンクに移す作業を行った。日本酒のアルコール分は、米に酵母を加えて発酵させることでできるが、酒母は酵母を大量培養させたものだ。白く濁った見た目は、甘酒や濁り酒を彷彿(ほうふつ)とさせる。
 「これをこぼすと酒が造れなくなるから」。中野さんの恐ろしい忠告を頭に刻み、オレンジ色の瓶に酒母を入れてタンクまで何度も運ぶ。
 午後には「掛米」として使われる米75キロを洗米し、水に漬ける「浸漬(しんせき)」を行う。今回、水に漬ける時間は8分。「水分の吸収を抑え、固めに仕上げると辛口になるんです」と高津さん。8分とはなんとなく長いように感じたが、作る酒によっては18分も水に漬ける場合もあるそうだ。浸漬を終えると麹室に移動し、朝に運んだ米を初日と同じようにばらばらにほぐし、今日の作業は終了した。
流刑の島、悲運の帝
 せっかく佐渡に行ったので、島の名所を紹介したい。
 佐渡といえば金の産出地としてのイメージが強いが、流刑地としての歴史を刻んだ島でもある。流刑になった有名な人物としては、日蓮宗の宗祖である日蓮、能を大成した世阿弥などが上げられる。
 前日(7月14日)の午後のことだが、休憩時間に真野御陵(ごりょう)(佐渡市真野)を訪ねてみた。鎌倉時代の悲運の帝、順徳天皇(1197~1242年)のゆかりの場所だ。
 順徳天皇は後鳥羽天皇(1180~1239年)の第3皇子。幼少の頃から聡明(そうめい)だったとされ、歌の才能にも恵まれていたが、鎌倉幕府打倒をもくろんだ承久の乱(1221年)に敗れ、佐渡に流された。
 百人一首の100番目の歌、「ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり」は、順徳天皇が20歳の頃に詠んだと伝えられる。佐渡に流されるよりも前の歌だが、武家の台頭とともに朝廷の権威が衰えていった当時の社会情勢が垣間見える。
 配流後の順徳天皇は約20年もの間、都に帰ることを願いながら46歳で崩御した。真野御陵は天皇が火葬された跡に松と桜を植えて目印とした場所だが、御陵と同格として宮内庁が管理している。
 学校蔵を車で出て、山の方を目指すこと約30分。緑の木々に囲まれた御陵が見えてきた。
 御陵の入り口に立ち、ふと後ろを振り返ると、遠くに陽の光で輝く真野湾が見える。白い砂利を踏みしめながら奥に向かうと、柵の向こう側に鳥居がたたずんでいた。厳粛な雰囲気に包まれた御陵の中は、まるで時間が止まっているかのようだ。
 生きて都の土を踏むことができなかった順徳天皇は、あの海をどのような気持ちで眺めていたのだろうか…。歴史に翻弄された天皇の幾星霜に思いをはせながら、鳥居に向かってそっと手を合わせた。(太田泰)