「割愛」するには「愛」を「割く」ような気持ちが必要です

赤字のお仕事

 「この手の話題は、中央銀行の独立性について曖昧なまま報道してきたマスコミ各社には耳の痛い話なので、報道では割愛されていたようだ」

 この文章では、「割愛」のことを、マスコミが自分に都合が悪い話を単に「省略した」「省いた」という意味で使っています。

 しかし、「割愛」という語の本来の用法とは違います。では、どのような意味が正解なのでしょう。また、なぜ「愛」を「割く」必要があるのでしょうか?

 まずは、辞書を調べてみます。

 《(1)愛着の気持を断ち切ること。思い切ること。(2)惜しいと思いながらも省略したり捨てたりすること。また、惜しいと思いながら、相手に贈ること》(『精選版 日本国語大辞典』、小学館)

 《惜しいと思いながら、思い切って捨てること。▽もと仏教語で、愛着の気持ちを断ち切ること》(『明鏡国語辞典 第二版』、大修館書店)

 このように「割愛する」は、本来、惜しいと思っているものを思い切って省略したり、捨てたりすることを指します。もとは仏教用語で、人や物に対する愛着、執着を断ち切ることを言うことが分かります。「愛着」を「割く」(切り捨てる)からこそ、「割愛」という表記になるのですね。

 ただ、職場の会議などでは、「詳しい説明は、時間の関係上割愛します」とか「以下の内容はさほど重要ではないので、割愛します」などといった言い方がよくされます。

 そう、冒頭の文例でも見たように、「割愛」という言葉、一般的には「省く」「省略する」といった意味のみで使われることが多いようです。

 それを裏付けるような調査もあります。

 文化庁国語課が行った平成23年度の『国語に関する世論調査』では、「説明は割愛した」という例文で、「割愛」の意味を尋ねています。

 それによると、本来の意味である「惜しいと思うものを手放す」と答えた人は17.6%、「不必要なものを切り捨てる」という人は65.1%でした(年代別に見ると、20代が一番、本来の意味を答えた人とそうでない人の差が開いています)。

 では、なぜ、「惜しいと思う」という部分が無くなって、単に「省略する」という意味で使われることが多くなったのでしょう。

 「割愛」が使われる場合、会議での「詳しい説明は、時間の関係上割愛します」の発言のように、「割愛」の部分以外では発言者(筆者)の気持ちがくみ取れるような表現がないことがほとんどです。

 「先日行ったヨーロッパ旅行。当初は、イギリスから大陸に渡って複数の国を回るつもりだったが、帰国の予定が早まり、チェコへ行く旅程の部分は割愛した」

 といった文章があったとして、この場合の「チェコへ行く旅程の部分は割愛した」の部分には、筆者の「できれば行きたかった」という気持ちがあるはずです。ただ、読み手が「割愛」本来の意味を知らなければ、単にスケジュール上の変更としてしか受け取ってもらえないでしょう。

 これが、「先日ようやく念願かなって行ったヨーロッパ旅行。…帰国の予定が仕事の都合で早まり、残念ながらチェコへ行く旅程は割愛した」と作者の気持ちが他の文脈から浮き出ていれば、「惜しいけれど」という気持ちが受け取りやすくなるかも。

 割愛の本来の意味を伝えるためには、他の文脈から類推できるだけの情報が必要なのでしょうか。

 会議のため、事前に一生懸命資料作りをしていざ発表の席上、上司が自慢話を長々として時間がなくなり、せっかくの資料も全て紹介できそうもないとき…。

 こういう時の「時間の関係上割愛します」の「割愛」には、惜しいけれど…の気持ちがいっぱい詰まっているはずですよね。(時)