「私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから!」(9年8月~10年2月)

平成の証言
泣きながら「社員は悪くない」と訴える野沢正平・山一証券社長=平成9年11月24日

 31年4月30日の終わりに向けてカウントダウンが始まった平成時代。私たちが受け止め、発した言葉は時代の証言となって「あのとき」をよみがえらせます。「平成の証言」を、元年からひと月刻みで振り返ります。

平成9年8月

 「隣人同士で助け合う絆の強さや、困難に立ち向かうたくましい姿に感銘を受けた。私の心は阪神大震災の犠牲者とともにある」(ダイアナ皇太子妃)

 英国のダイアナ妃が来日中にこう述べたのは、震災翌月の7年2月。2年半後の9年8月31日、パリのセーヌ川沿いのトンネルで自動車事故に遭い、36歳で亡くなった。パパラッチと呼ばれる著名人専門のカメラマンに追跡されて起きた事故だった。

 来日は計3回。最初の昭和61年には都内でオープンカーによるパレードを行い、「ダイアナフィーバー」と呼ばれる社会現象が起きた。

9年9月

 「人事権者である私の判断で国政にこのような混乱を招き、国民の皆さんに率直におわび申し上げたい」(橋本龍太郎首相)

 22日、首相が異例の「深い反省」と「おわび」の表明に至ったのは、11日に発足した第2次改造内閣に、ロッキード事件で有罪判決が確定した佐藤孝行氏を総務庁長官に選んだ人事が理由。閣外協力の社民党が猛反発し、世論の批判も高まり、わずか12日で佐藤氏を事実上更迭する事態となった。

 佐藤氏は辞任後の会見で「民意とはマスコミの論調だけではない」と報道批判も展開した。

9年10月

 「温かい支援を受け、『あさま』が出発します。鉄道人にとって、長年の夢でした」(JR東日本の松田昌士社長)

 冬季オリンピック長野大会を4カ月後に控え、JR長野駅で1日朝、長野新幹線「あさま」の一番列車の門出を祝うセレモニーが行われた。フル規格で建設され、最高時速は260キロ。在来特急の約半分の平均1時間37分(最短1時間19分)で東京と長野を結び、長野を東京の通勤圏へと変貌させた。

 自由席車両前には約200人が行列し、徹夜で初乗りを目指した人も多数いた。

9年11月

 「これだけは言いたいのは、私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから! どうか社員を応援してやってください」(山一証券の野沢正平社長)

 記者会見の途中、号泣しながら訴える野沢氏の映像が繰り返しテレビで流れた。24日、証券大手の山一証券が臨時取締役会を開き、経営継続を断念し、自主廃業を申請することを正式に決定。野沢氏は会見で「多額の含み損、ならびに簿外債務と疑われるものなどが判明した」と初めて簿外債務の事実を認め、自主廃業について「100周年を迎えてこのような事態になり、誠に断腸の思い」と唇をかんだ。

9年12月

 「ポケモンのビデオを見た後、娘が気持ちが悪いと言いだし意識を失った。ニュースを見てびっくりして119番通報した」(12歳の女児の母親)

 16日夕に放送されたテレビ東京系のアニメ「ポケットモンスター」を見ていた子供らが体調不良を訴え、けいれんを起こすなどして約750人が救急搬送され、130人余りが入院した。原因は画面の激しい明滅だった。テレビ業界は製作のガイドラインを設け、この事故を機に「テレビは部屋を明るくして見て」などとしたテロップを出すようになった。

 ポケモンの放送は4カ月の休止後、再開する。

10年1月

 「ノーパンしゃぶしゃぶに行きたい」「5千万円ぐらいのマンションの物件を探している。なんとかならないか」(大蔵省金融検査部幹部)

 東京地検特捜部は26日、都市銀行4行からゴルフや飲食接待、飲食代金のつけ回しなど総額約925万円の利益供与を受け、その見返りとして検査日程や対象支店を事前に教えたなどとして、大蔵省の金融証券検査官の男2人を逮捕した。事件は「MOF担(モフたん)」と呼ばれる銀行の大蔵省担当者が、検査情報を入手するために接待を繰り返し、官僚がそれに寄生していた実態を白日の下にさらすことになる。

10年2月

 「よかった、よかった。でも泣かないよ。ここは長野だから。ヒーローは俺じゃない。みんなで力を合わせて金メダル取ったんだ」(原田雅彦選手)

 17日の長野五輪ノルディックスキー・ジャンプ団体戦。前回リレハンメル大会では、最後に飛んだ原田選手の失敗で銀メダルに終わった。長野でも原田選手は1回目、激しい降雪で失速し、79・5メートル。日本は4位と出遅れた。しかし、2回目は137メートルで最長不倒の大ジャンプ。岡部孝信、斎藤浩哉、個人でも金の船木和喜の3選手とともに、逆転で日本に五輪通算100個目の金メダルをもたらした。