観察力と記憶力は抜群 “科学者天皇”の片鱗も

昭和天皇の87年
画=豊嶋哲志

質実剛健(3)

 ある日のこと、養育係の一人が、ミノムシに似た珍しい虫を見つけたので、裕仁親王に見せに行った。すると裕仁親王は、「ああ、それはこの本にある」といってドイツの動物絵本を取り出し、100ページ以上もある挿絵の中から迷わず同種の虫を指し示した-。

 内相や首相を歴任した大正期の有力政治家、原敬が保管していた「迪宮(みちのみや)殿下御心意状態」に記されている、裕仁親王9歳の頃のエピソードだ。

 同文書にはこのほか、明治43年度の報告として、学習院初等学科3年の裕仁親王の発育状況が、具体例とともに記されている。

 「年齢及学年ノ増進ニ伴ヒテ 体力及諸心力ノ発達 非常ニ著シクアラセラレ 学事上ニ関スルコトハ勿論(もちろん) 其他一般日常生活 殊ニ遊戯等ニ於カセラレテハ 一層知的ニ進マセラレ 高尚複雑ニナラセラレシノミナラズ (中略)従来ノゴトク単ニ架空的想像的ノモノヨリモ 漸々実際的ニナラセラレタリ」

 養育担当者らの報告なので、割り引いて考えなければならないが、体力も知力も、周囲の期待以上に向上していたといえるだろう。

 「意志モ常ニ鞏固(きょうこ)ニアラセラレ 学習院ノ規則其他何事ニテモ一度規定アラセラレタル事ハ 極メテ正確ニ守リ遊バサル サレド又少シニテモ納得アソバシカヌル事ノアラセラルヽ時ニハ 飽クマデモ追及アソバサレ 然ル後服従アラセラル」

 同文書では、この頃の裕仁親王の長所として、観察力と記憶力が優れていること、動物や昆虫の採集、分類、標本づくりなどの才能が際立っていること、人を思いやる心があることなどを挙げている。その半面、たまに規則を自分の都合のよいように解釈することや、授業で発表するときの発音(とくに濁音や促音など)に問題があることを指摘する(※1)。

 担当教員らの回想によると、学業では算術が良くでき、次いで理科、地理、歴史などが得意科目だった。一方、不器用なところがあり、図画や手工、体育は不得意だったという。

 気になるのは、やや神経質ともいえるほど潔癖な面が、年少期からみられたことだ。机上など「常ニ整然トシテ一糸乱レズ 弟宮方ノ御机上トハ格段ノ御違ヒ」であり、雑誌なども号を順番にそろえて整理しておく性格だった。

 学友の松平直国は、「ゲームの時にはよく曖昧なことを我々がやることに対して、相当な抗議をなされました」と述懐する。

 こうした性格は、のちに大きな長所にもなれば、短所にもなりかねないおそれがあった(※2)。

× × ×

 ところでこの頃の昭和天皇実録にも、裕仁親王の成人後の性格や言動につながるエピソードが幾つか盛り込まれている。

 明治43年夏、9歳の裕仁親王は、海で小魚を捕まえたり、山で虫取りしたりするのが何より好きな少年だった。

 8月1日《(神奈川県葉山の御用邸に滞在中)海岸ではしばしば魚介類や藻類を御採集になり、また御用邸近傍の地においては捕虫網にて蝶などの虫捕りを行われることが多く、捕獲された昆虫類は標本箱にて御整理になる》(3巻46頁)

 8月3日《午前、子爵松平乗承(のりつぐ)参邸につき謁を賜い、妹尾秀美ほか著『日本有用魚介藻類図説』の献上をお受けになる。(中略)同書はその後もお手許に留め置かれ、御愛読になる》(同頁)

 8月28日《西洋罫紙(けいし)に「てふとがとせゝり」(蝶と蛾とセセリチョウ)を題に、鉛筆にて「本州に居るもの」とお書きになり、名和昆虫研究所工芸部製作「蝶蛾鱗粉(りんぷん)転写標本」により五十種ほどの名称を抜粋し、分類してお書き取りになる》(同巻50頁)

 のちに生物学研究で10冊以上の専門書を著す“科学者天皇”の素地は、この頃から備わっていたようだ。

 生涯を通じての相撲好きも、初等学科時代から本格化していた。

 43年3月6日《皇后より拝領のゼンマイ仕掛けの力士玩具などにてお遊びになる。なお、この頃親王は御学友・側近等と相撲を取られるほか、御自ら四十八手を御考案になるなど、相撲に格別の御興味を示される》(同巻15頁)

 同年6月6日《雍仁(やすひと)親王・宣仁親王と共に馬車にて両国の国技館にお成りになる。東京大角力(すもう)協会員等の奉迎を受けられ、(中略)貴賓席において力士の土俵入り及び取組を御覧になる》(同巻33頁)

 角力観戦に付き添った側近の記録によれば、裕仁親王はこの日、当日の取組表を手元に置き、時々「最近角力便覧表」を取りだしては東西力士の年齢、身長、体重、得意技を比較して勝敗を予想するなど、「格別御興味深ク御観察」していたという。

 大関国見山の熱戦の後、裕仁親王は言った。

 「国見山、はじめ『突出し』で後で『咽喉輪(のどわ)』よ。そうしてまた突いたの」

 一瞬のうちに決まり手を正しくみてとった観察力に、側近は舌を巻いた。

 もう一つ、当時の昭和天皇実録にたびたび記されていることがある。両親である皇太子同妃をはじめ、家族との触れ合いだ--。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1)例えば「あべこべ」を「あぼぼけぺべ」、「あたたかい」を「あたかい」などと発音した。

(※2)昭和天皇の4歳下の弟、高松宮は昭和19年7月8日付の日記に、「陛下(昭和天皇)の御性質上、組織が動いているときは邪なことがお嫌ひなれば筋を通すと云ふ潔癖は長所でいらつしやるが、組織がその本当の作用をしなくなつたときは、どうにもならぬ短所となつてしまふ。今後の難局には最もその短所が大きく害をなすと心配されるので、さうしたときの御心構へなり御処置につき今からお考へを正し準備をする要あり」「お上(昭和天皇)は筋を踏み外すことが全くおきらひなため、内大臣は政治向き、武官長は軍事、宮内大臣は宮中関係、侍従長には側近のことと云ふ風に全くそれから少しでも出たことを申し上げれば御気色悪く、自らも決して仰せにならぬ」と記している(原文はカタカナ)。

【参考・引用文献】

○宮内庁編『昭和天皇実録』2、3巻

○原敬文書研究会編『原敬関係文書 別巻』(日本放送出版協会)に所収の「迪宮殿下御心意状態」

○田中光顕監修、長野新聞編『聖上御盛徳録』(長野新聞)所収の石井国次謹話「御学事と御武勇」

○同『聖上御盛徳録』所収の松平直国謹話「御学友としての思ひ出」

○甘露寺受長著『背広の天皇』(東西文明社)

○高松宮宣仁親王記『高松宮日記』7巻(中央公論社)