紫電改と原爆投下機 接収された日本陸海軍戦闘機のいま

 

 【いまも飛ぶ大戦機】 支那事変から太平洋戦争に至る大東亜戦争の約8年間に生産された日本陸海軍機の総数は、実に8万機近い。平均すると年間1万機に迫るわけだから、当時の日本の国力を考えると、いかに膨大な機数かがわるだろう。だが、その大多数は戦闘で失われ、日本本土と外地に残ったわずか一割ほどの残存機も、敗戦後に連合国の手で廃棄処分された。とはいえ連合国は、性能試験・研究資料とするため、多種多様な日本陸海軍機を接収して、本国に持ち帰っている。さらに戦勝記念品やゲート・ガーディアン(基地内展示機)、有力企業へ贈呈するなどの目的もあり、決して少なくない数の日本陸海軍機が、海を渡ったのである。(文・写真/藤森篤)

1944年6月、サイパン島第一飛行場で米海兵隊に捕獲された直後の零戦52型【61-120】。米空母に搭載して米本土に運ばれ、性能試験のため運用された(Photo:Planes of Fame Photo Collection)

 いまも現存する接収日本陸海軍機の中で、ただ1機だけ動態保存されているのが、米プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館所有の零戦52型だ。昭和19年6月、サイパン島で米軍に捕獲・接収された本機は、米本土で試験飛行を実施。戦後になって民間へ放出され、同博物館が取得して復元作業を施した。そしてオリジナルの栄発動機で飛行する唯一無二の零戦として、三度の“里帰り”を果たし、日本でも広く知られるところとなったのである。

当時の栄発動機で飛行する唯一無二の零戦52型。所有するプレーンズ・オブ・フェイム航空博物館は、本機を大切に扱っているため、良好な状態を維持している(Photo:Atsushi "Fred" Fujimori)

 零戦に次いで知名度が高い紫電21型、通称“紫電改”は、米国に3機が静態保存されている。しかも米国立航空宇宙博物館所蔵機では広島へ原爆を投下したB-29“エノラゲイ”の翼下に、米国立空軍博物館所蔵機では長崎に原爆を投下したB-29“ボックスカー”と並んで展示されているのだ。

米国立航空宇宙博物館ウドバーハージィ施設(バージニア州)に展示されている紫電21甲型。後方の巨大な機体は、広島に原爆を投下したB-29“エノラゲイ”だ(Photo:Atsushi "Fred" Fujimori)

 紫電改と原爆投下機に因果関係はないのだが、日本人としては非常に感慨深い展示である。また米国立太平洋戦争博物館に静態展示されている、紫電改の母体となった水上戦闘機・強風も、大戦機ファンには非常に興味深いだろう。

米国立空軍博物館(オハイオ州)で長崎へ原爆を投下したB-29“ボックスカー”の後方に展示される紫電21甲型。紫電改が2機とも原爆投下機と並んで展示されているのは、偶然の一致なのだろうか?(Photo:Atsushi "Fred" Fujimori)

 岐阜かかみがはら航空宇宙博物館に静態展示されている陸軍三式戦闘機・飛燕も、実は米軍接収機だ。敗戦後、米軍に接収されてジョンソン空軍基地(現・航空自衛隊入間基地)の展示機となり、後に日本へ返還された機体である。そして紆余曲折を経て、飛燕を製造した川崎航空機の後身・川崎重工が、2015年より本格的な復元作業に取り組んだ結果、現在の完璧な姿を取り戻したのだ。

米国立空軍博物館の修復施設で、復元作業中の紫電改。同博物館は世界有数の大規模修復施設を設けており、その技術力と復元忠実度の高さには定評がある(Photo:Atsushi "Fred" Fujimori)

 「刀剣・鎧甲冑は美術品、工芸品だが、戦闘機は忌むべき人殺しの道具」といった珍妙な解釈が、いまだにまかり通る日本では、極めて例外的な事象であり、まことに幸運な米軍接収機である。

米国立太平洋戦争博物館(テキサス州)に展示されている強風11型。水上戦闘機の本機を陸上戦闘機に改修したのが紫電11型、それをさらに改修したのが紫電21型=紫電改なのだ(Photo:Atsushi "Fred" Fujimori)

 【プロフィル】藤森篤(ふじもり・あつし)

 日本大学理工学部航空宇宙工学専修コースで、零戦設計主務者・堀越二郎博士らに学ぶ。30余年間、飛行可能な第二次大戦機の取材撮影をライフワークとする。著書は「零戦五二型・レストアの真実と全記録」(エイ出版社)など。