さまざまな世界の「松坂世代」を勇気づける松坂大輔 マネジメント会社社長、澤井芳信氏

スポーツ裏方だより
第80回全国高校野球選手権決勝でノーヒットノーランを達成し、ガッツポーズの横浜・松坂=1998年8月22日、甲子園球場

 1998年8月。ちょうど20年前の夏、私は甲子園に立っていた。松坂大輔擁する横浜高校が春夏連覇、そして決勝戦ノーヒットノーランで締めくくり、日本中を沸かせた夏。当時の決勝戦の相手、京都成章高校のキャプテンだった。

 「松坂世代」。98年春夏の甲子園を沸かせ、94人という多くのプロ野球選手を輩出した世代である。そんな松坂世代も今年で38歳になる。現役で続けている選手は数えるほどになった。社会に出て働いている人たちにとっても中堅に差し掛かり、役職も与えられ、バリバリ仕事をするいわゆる「いい年」になってきているだろう。

 一方で、厳しさもあり、早くから脚光を浴びてプロの世界に飛び込んだ選手たちもベテランと呼ばれる年になり、引退してプロのコーチになっている者も増えてきている。大学時代に同期だった平石洋介(当時の横浜高校と延長17回を戦ったPL学園の主将)においては今シーズン途中から監督代行になった。人生とは面白いものである。

 今、松坂世代はいろんな人生が交錯している時期なのではないかと思う。年代的には働き盛り。社会に出てバリバリ働いているもの、引退して第二の人生を歩んでいるもの、そして現役でいるもの。みんなそれぞれがそれぞれの立場で頑張っている。そして今年甲子園100回大会という記念の年、「松坂世代」の松坂大輔が日本のプロ野球のマウンドに立って投げている。彼が脚光を浴びることで、また「松坂世代」というものが輝きを放つのだ。

 私もプロ野球選手になりたかった。でもなれなかった。同期の選手や後輩が次々とプロ野球選手になっていった。なれなかった悔しさ、気持ちのどこかで、「なぜあの選手がプロになれたのに、自分はなれないんだ」。そんな葛藤ももちろんあった。プロ野球選手というのはなりたくてなれるものではない。その狭き門を私はくぐることができなかった。

 しかし、野球をやめた後に、私は運よくやりたい仕事が見つかった。スポーツの世界で人と接する仕事をして、バリバリのビジネスマンになりたい-。そんな思いからマネジメントという仕事に行きついた。裏方の仕事も非常にやりがいがある。現在はヤクルトでトレーナーをしている友人の小林宏平(彼も新発田農業高校で甲子園に出ている)の言葉が印象的だった。

 「いろんな世界で活躍する松坂世代がいていいと思うんだよね」

 私が社会人野球を引退して間もない頃、そして彼がまだプロなんか程遠いところでトレーナーをしている頃の話である。その時、松坂はものすごい移籍金で海を渡った。

 何もプロ野球選手だけが松坂世代ではない。98年夏、「こんなすごい選手が同い年なんだ」と思ったみんなが松坂世代なのである。そんな彼がこの世代の象徴のようにまだ現役でプロのマウンドに立っている。

 みんなそれぞれがいろんな立場で感じるものが違うであろうが、勇気づけられている人がほとんどではないだろうか。自分は自分で高めて、もっと成長していきたい。初めて会った人でも「同級生」というだけで少し親近感を覚える。それは松坂世代に限らない。そんな頑張っている同級生がいれば、応援したいしと思うだろうし負けたくない気持ちもあるだろう。

 そんな気持ちにさせてくれる松坂大輔を今後も応援したい。

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 澤井芳信(さわい・よしのぶ) 株式会社スポーツバックス社長。京都成章高校では主将を務め、1998年夏の甲子園準優勝。同志社大、社会人野球「新日鉄住金かずさマジック」(元新日鉄君津硬式野球部)でプレー。引退後、アスリートのマネジメントに携わる。