【政治デスクノート】吉田茂も自民党総裁候補だった? 「戦わずして勝つ」は6人も…総裁選こぼれ話 - 産経ニュース

【政治デスクノート】吉田茂も自民党総裁候補だった? 「戦わずして勝つ」は6人も…総裁選こぼれ話

平成24年9月、自民党総裁選に立候補した安倍晋三首相(右)ら=東京・永田町の党本部(古厩正樹撮影)
自民党結党前に首相を務めた吉田茂氏は、立候補制ではなく自由に記名して投票していた時代の自民党総裁選で得票したこともあった
平成13年4月、自民党総裁選で田中真紀子氏(右)の応援を受ける小泉純一郎氏。「小泉旋風」を起こし、3回目の挑戦で総裁の座を射止めた=新潟市
平成20年9月、4回目の挑戦となった自民党総裁選を制し、念願だった総裁室のイスに座る麻生太郎氏=東京・永田町の党本部
平成20年9月に行われた自民党総裁選の候補者。現在東京都知事の小池百合子氏(右から2人目)は歴代でも唯一の女性候補者だ=東京・永田町の党本部
昭和55年7月、首相に指名され、あいさつする鈴木善幸首相(中央左)。自民党総裁選で戦った経験はないが、首相を964日間務めた
消費税導入初日の平成元年4月1日、アピールのため都内の百貨店でネクタイを購入する竹下登首相夫妻。竹下氏は自民党総裁選を経ず「話し合い」で就任が決まった
 9月の自民党総裁選は、連続3選を目指す安倍晋三首相(63)と石破茂元幹事長(61)の一騎打ちの構図がほぼ固まった。昭和30年に結党した自民党は平成24年まで計26回、複数の候補者による総裁選を行ってきた。激しい派閥抗争やまさかの大逆転といった数々のドラマを生んできたが、本筋とは少し離れた「こぼれ話」に焦点をあてつつ過去の戦いを振り返る。
2番目に長い「空白」
 前回の27年総裁選は安倍首相の無投票再選だったため、複数の候補者による選挙戦は24年9月以来、ちょうど6年ぶりとなる。総裁選が行われなかった期間としては2番目に長い。
 最長の空白は、昭和47年7月から53年11月の6年4カ月間。47年総裁選を制した田中角栄氏は金脈問題で退陣し、49年にいわゆる「椎名裁定」で三木武夫氏が後継の総裁に指名された。51年には「三木おろし」が起こり、話し合いで福田赳夫氏が総裁に選出された。その福田氏は53年11月、田中氏の後ろ盾を得た大平正芳氏らと争って敗れた。派閥抗争が激しかった時代と重なるが、総裁選が行われなかったのは意外な気もする。
唯一の女性候補は小池氏
 昭和47年の総裁選よりも前は、現在のように総裁を目指す議員が立候補を届け出る「立候補制」ではなく、議員が「首相候補」を自由に記名していた。1回目の投票で過半数に達した人がいなかった場合のみ、上位2人に対する決選投票を実施していた。従って、総裁選で図らずも票を得た「候補」もいた。
 例えば自民党結党前に通算2616日間、首相を務めた吉田茂氏は34年総裁選で1票、37年総裁選で2票獲得している。復活を待望する議員がいたということだろうか。
 野田聖子総務相(57)の祖父、野田卯一氏も41年総裁選で9票を獲得した。もっとも、卯一氏は立候補を宣言した上での9票だったので惨敗だった。聖子氏は今回の総裁選出馬に意欲を示すが、推薦人20人の確保が難航している。
 総裁選に立候補した女性は、後にも先にも平成20年の小池百合子現東京都知事(66)しかいない。野田氏が「2人目」になるためのハードルはかなり高い。
首相就任後に総裁選?
 自民党結党当初は、順番があべこべな総裁選もあった。結党時の首相は鳩山一郎氏だった。自由党と日本民主党の「保守合同」で発足した自民党は鳩山氏と緒方竹虎、三木武吉、大野伴睦各氏の4人による「代行委員制」でスタートした。
 最初の総裁選は昭和31年4月で、首相だった鳩山氏に対する事実上の信任投票だった。党草創期の話なので「首相が総裁選に初当選」となった。
 初めて本格的な選挙戦となった31年12月の総裁選に勝利したのは石橋湛山氏だった。ところが石橋氏は32年2月25日、病気により在任わずか65日間で退陣した。後を継いだのが、31年12月の総裁選で7票差で石橋氏に惜敗した岸信介氏で、首相臨時代理を経て32年2月25日に首相に就任した。
 岸氏はこの時点で自民党総裁ではなく、信任投票の形になった同年3月21日の総裁選で勝利するまでの約1カ月間、「自民党総裁ではない首相」という異例の事態となった。
「最多敗戦」は麻生氏
 今回の総裁選は6年ぶりだが、過去には4年連続で総裁選を実施したこともあった。小泉純一郎氏(76)の後を受けて安倍首相が初当選した平成18年と、19、20、21年だ。この間、安倍、福田康夫(82)、麻生太郎(77)各氏がそれぞれほぼ1年で退陣した。毎年総裁が代わり、自民党の混乱と低迷を象徴している。
 麻生氏は立候補制を採用した昭和47年以降の総裁選で最も多く敗れた人物でもある。平成13年を皮切りに18、19年の総裁選も敗れ、前人未到の3年連続4回目の挑戦となった20年、ようやく総裁の座を射止めた。
 小泉氏は3回目となった13年4月の総裁選で勝利した。前任の森喜朗氏(81)の任期満了に伴う同年8月の総裁選で無投票再選し、15年総裁選も当選。無投票を含め計5回立候補した。
 安倍首相は無投票を含め今回が4回目となる。これまでの3戦は全勝だ。複数の候補者による総裁選での最多勝は佐藤栄作氏の3勝で、安倍首相が今回勝てば並ぶことになる。
孫子の兵法を実践
 自民党の歴史の中で、総裁選を一度も戦ったことがないにもかかわらず首相に上り詰めたのは6人いる。
 昭和49年に首相に就任した三木武夫氏、51年就任の福田赳夫氏は裁定や話し合いで選ばれた。55年7月の大平氏急逝を受けて登場した鈴木善幸氏もそうだ。大平氏の残り任期を全うした上で同年11月の総裁選で無投票再選した。首相在任964日間は現憲法下で歴代10位の長さだった。
 62年に首相に就任した竹下登氏も総裁選を戦っていない。安倍首相の父・晋太郎氏、宮沢喜一氏とともに「ニューリーダー」と呼ばれた竹下氏は、前任の中曽根康弘氏(100)の指名で総裁に就いた。首相在任576日間で消費税導入などを実現した。
 残り2人は平成元年の竹下氏退陣を受けた宇野宗佑氏と、12年の小渕恵三氏の病気による退陣で登板した森氏だ。参院選に惨敗した宇野氏の首相在任期間は69日間、森氏は387日間だった。孫子の兵法「戦わずして勝つ」は理想だが、その結果はさまざまだ。 (政治部次長 酒井充)