「男子は男子らしくなれ」 忠義一徹〝乃木式〟に賛否両論も

昭和天皇の87年
画=豊嶋哲志

質実剛健(2)

 一、口を結べ。口を開いて居るやうな人間は心にもしまりがない

 一、眼のつけ方には注意せよ。始終きよろきよろして居るのは心の定まらない証拠である

 一、男子は男子らしくなくてはいかん。弁当の風呂敷でも赤いのや美しい模様のあるのを喜ぶようでは駄目だ

 一、恥を知れ。道にはづれたことをして、恥を知らないものは禽獣(きんじゅう)に劣る

 一、洋服や靴は大きく作れ。恰好(かっこう)などはかまふな……

 第10代学習院長となった乃木希典(まれすけ)が、裕仁親王をはじめ初等学科の児童に、折に触れて訓示した内容の一部だ。児童だけではない。保護者に向けた講話でも、乃木は歯に衣着せなかった。

 一、学問の出来ると出来ないとは生来もあることで仕方がないが、躾(しつけ)方の良いと悪いとは家庭の責任

 一、礼は洒掃(さいそう)応対に始まるといつて、小さい時から掃除をさせたり家事を手伝はせたりして、自然に礼儀作法を教へることが大切である。それだのに近頃の子供は飯の食ひ様も知らぬ程で苦々しく思ふ。家庭の注意を要する

 一、学習院の寄宿舎ではまづい物許り食べさせるやうに家庭で思はれるかも知れないが、なかなかそんなことはない。私も始終同じものを食べて居るが、私などには少し贅沢(ぜいたく)すぎる位のものであるから、学生がたまに家に帰つたとて御馳走などして無暗に大切にするには及ばない……

× × ×

 贅沢華美になりがちだった学習院に持ち込まれた、乃木式の質素勤勉教育-。それは必ずしも、生徒全員に受け入れられたわけではない。当時、学習院の一部生徒や卒業生らが文芸雑誌「白樺(しらかば)」を創刊し、のちに白樺派として文学界をリードするが、彼ら文学青年の多くは乃木に批判的だった。

 裕仁親王より3歳年長で学習院に在籍していた白樺派の一人、長与善郎は戦後の自伝小説の中で、乃木が学習院に持ち込んだのは上辺だけの質朴剛健だったとして、こう書き残している。

 「乃木さん自身は別に軍国主義を強制したわけではなく、誠意過多症と誰かが適評したごとく、信念に忠実なあまりの熱心さと、その最期が示す通りの激しい忠義一徹の純情とから、(中略)一寸したことも見て見ぬふりの出来ぬ、重箱の隅までほじくる干渉のやかましさとなったので、いわば古武士の悲劇的ドン・キホーテだったのだと思う」

 ただ、乃木は口で聞かせるだけでなく、自ら寄宿舎に寝泊まりし、質素勤勉を自身の態度で見せた。上辺だけでなく、心底感化された生徒も多かっただろう。

 裕仁親王もその一人だ。

 教員(唱歌担当)の小松耕輔によれば、消しゴムは豆粒くらいになるまで使い、鉛筆も1センチほどの短さまで使った。

 保母役だった足立孝(たか)が述懐する。

 「ある日、お帰りになって、『院長閣下が、着物の穴の開いてるのを着ちゃいけないが、つぎの当ったのを着るのはちっとも恥じゃない、とおっしゃるから、穴の開いてるのにつぎを当てろ』とおっしゃられて、私どもは穴のあいてる御洋服や靴下につぎを当てました」

 孝によると乃木は、学校のない長期休暇中などにもしばしば裕仁親王のいる皇孫仮御殿や御用邸を訪ねてきた。冬の寒い日に裕仁親王が火鉢に当たっているのを見るや、外遊びを促したことはすでに書いたが、夏の暑い日にはこんな問答が交わされたという。

 乃木「殿下、山へお登りになる時に駆けてお登りになりますか、それとも下りる時に駆けてお下りになりますか」

 裕仁親王「登る時には駆けて登れないけれども、下りる時は駆けて下ります」

 乃木「それはいけません、殿下。お登りになる時にはいくら駆けて登ってもお怪我はないが、下りる時に駆けて下りられると、お怪我を遊ばします。下りる時はゆっくり下りられた方がよろしい。お登りになる時はいくら駆けてお登りになっても結構」…

 このあと裕仁親王が、本当に山を駆け登るようになったかどうか定かでないが、のちのちまで乃木の教えを大切にしていたことは確かだ。

 再び孝が言う。

 「このような乃木さんのお話で思い出されるのは三、四年前(戦後の昭和27、28年頃)のことでございますが、ふだん陛下(昭和天皇)のお召遊ばす外套の襟が破れたことを女官長が陛下に申し上げますと、『外へ出る時は別だが、ふだんうちで往き来する時の外套はつぎを当てておけばいいから』と仰せられ、つぎを当てた外套を差し上げて恐縮しました-と女官長が言っておられましたが、私どもはそれを伺った時に、ああ、乃木さんが一生懸命御教育遊ばしたことは、今でも陛下の中に生きていらっしゃるんだな、と思いました」

 乃木が教えた質実剛健。それは裕仁親王の胸奥に、しっかりと実を結んでいた--。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

【参考・引用文献】

○学習院輔仁会編「乃木院長記念録」(三光堂)

○長与善郎著「わが心の遍歴」(筑摩書房)

○小松耕輔謹話「師を敬し御学友を愛し給ふ」(田中光顕監修「聖上御盛徳録」所収)

○鈴木(旧姓足立)孝著「天皇・運命の誕生」(文芸春秋編「昭和天皇の時代」所収)