〈32〉『神やぶれたまはず』再読

モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら
73回目の終戦の日。日没後も多くの参拝者が訪れた靖国神社=8月15日午後、東京・九段北(酒巻俊介撮影)

「特別の瞬間」を忘れた日本人

 玉音放送から73回目の日がめぐってきた。8月15日になると近年決まって思い起こされるのが、哲学者、長谷川三千子さんの《昭和二十年八月のある一瞬--ほんの一瞬--日本国民全員の命と天皇陛下の命とは、あひ並んでホロコーストのたきぎの上に横たはつてゐたのである》という鮮烈な言葉である。

 昭和20年8月15日をめぐっては、これまでさまざまなことが書かれ語られてきた。この日とその前後にメディアで語り伝えられることは、同じことの繰り返しが多く-もちろん繰り返すことで後世に伝えてゆくことの意義は大いに認めるが-報道にしろ言論にしろ、そのどれもが単なる年中行事に堕しているように感じられ、正直に申せば、少々うんざりしていた。

 ところが5年前の夏、特筆すべき書物が出現した。長谷川さんの『神やぶれたまはず 昭和二十年八月十五日正午』(中央公論新社)である。同書において、これまで誰ひとり指摘することのなかった、わが国の歴史に起こったある「特別の瞬間」を長谷川さんは描き出した。

 一国の歴史において、ある「特別の瞬間」というものが存在する。その瞬間の意味を知ることは、国の歴史全体を理解することであり、その瞬間を忘却することは、国の歴史全体を喪失することであると、長谷川さんは述べ、その瞬間をよみがえらせ、意味を問い、その答えを得ようとする。戦後日本人の根無し草的な生は、その瞬間を忘却しているからに他ならないからだ。

 「特別な瞬間」とは、玉音放送が流れた昭和20年8月15日正午のことである。21年生まれの長谷川さんは、「特別な瞬間」に立ち会い、鋭敏な感受性と知性でとらえた折口信夫、橋川文三、桶谷秀昭、太宰治、伊東静雄、磯田光一、吉本隆明、三島由紀夫の言説を丹念に検証し、さらに旧約聖書の「イサク奉献」をめぐるジャック・デリダやキルケゴールの考察を取り上げて、神と人間の根本関係について思索を進める。

 ここで長谷川さんは、全知全能であるユダヤ教の神が唯一できないのが死ぬことであるのに対し、われわれの神は多くの欠点を抱えてはいるが死ぬことができるとの指摘をする。そのうえで、われわれ日本人が死をささげ、われわれの神が返礼として自らの死を差し出してくれたときに、神と人との特別な交わりの瞬間が訪れるという。

 冒頭で紹介した《日本国民全員の命と天皇陛下の命とは、あひ並んでホロコーストのたきぎの上に横たはつてゐたのである》という言葉は、まさにその瞬間を表現したものだ。「ホロコースト」とは、ナチスによるユダヤ人大虐殺の意味ではなく、ユダヤ教において、神の心をなごませるために、たきぎの上に殺したヤギをのせて焼き、その煙を神にとどかせるという儀式のことだ。

身を捨てる天皇の伝統

 大東亜戦争末期、日本は降伏することも、しないこともできないというジレンマに陥っていた。降伏すれば国民の生命は救われるかもしれないが、それは敵に天皇陛下の首を差し出すことにほかならないからだ。長谷川さんは書く。

 《「上下心を一(いつ)に」することを国体の柱としてきた日本国民にとつて、天皇の命とひきかへに自分たちが助かるといふ道は、取り得ない道であつた》

 7月26日、ポツダム宣言が日本政府に伝えられる。そこには「吾等の軍事力の最高度の使用は日本国軍隊の不可避かつ完全なる壊滅を意味すべく又同様必然的に日本国本土の完全なる破壊を意味すべし」「吾等は日本国政府が直に全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し…右以外の日本国の選択は迅速かつ完全なる壊滅あるのみとす」という恫喝(どうかつ)的言辞とともに、「日本国国民の自由に表明せる意思に従ひ平和的傾向を有しかつ責任ある政府が樹立せらるるに於ては連合国の占領軍は直に日本国より撤収せらるべし」という国体護持を保証するかのような項も含まれていた。

 だが、《連合国側は戦後処理において、自国民たちを満足させうる「敵の象徴としての指導者」の血に飢ゑて》いた。そして8月6日、広島に原爆が投下され、8日にはソ連が中立条約を一方的に破棄して宣戦布告、9日には長崎に原爆が投下される。

 9日の午後、ポツダム宣言受諾をめぐって閣僚会議が開催されるが結論は出ない。その夜、御前会議が開かれ、天皇陛下のご判断を仰ぐこととなる。

 長谷川さんは「日本書紀」に記された仁徳天皇の課税一時停止、元寇のさいに亀山院が石清水八幡宮にこもり「わが身をもって国難に代えん」と祈願された故事、さらには大雨で死者の出た報を聞いた花園院が「民に代わってわが命をすつる」と祈願した事例をあげてこう記す。《国民のために天皇がわが身をすてるといふ伝統は、単なる建前ではなく、すでに代々の天皇の血肉となつてきたのである》

 御前会議に同席していた内閣書記官長の迫水(さこみず)常久は天皇陛下のこのときのお言葉をこう伝えている。

 「このまま戦争を本土で続ければ日本国は亡びる。日本国民は大勢死ぬ。日本国民を救い国を滅亡から救い、しかも世界の平和を、日本の平和を回復するには、ここで戦争を終結する他はないと思う。自分はどうなっても構わない」

 かくして天皇陛下は、たきぎの上に横たわっている国民の隣にご自身を横たえたのだ。戦後の日本はそこから出発した。この「特別の瞬間」を忘却のふちからすくい上げ、きちんと意味づけることができない限り、われわれは精神のまひ状態から抜け出すことはできないだろう。

 昭和7年生まれの文芸評論家、桶谷秀昭さんは文庫判の解説にこんな言葉を寄せている。

 《私は想像する、近い将来ではないが、いつか、八月十五日正午のあの瞬間が、ノスタルジイとして共有されるとき、戦後日本は決定的な精神の変革をもつであらう。そのとき、あの「あの瞬間」の記憶は、保田與重郎(よじゅうろう)風に言へば、「偉大なる敗北」となるであらう》

 「いつか」とは、いったいいつのことだろう。モンテーニュは言っている。

 《いつかできることはすべて、今日もできる》

       =隔週掲載

   (文化部 桑原聡)