平成最後の夏「鎮魂の8・15」靖国の1日を追った 「あの時代を知らなければ」と女子生徒も

 
平成最後の夏、靖国神社には多くの参拝者が訪れた=15日午前、東京都千代田区(鴨川一也撮影)

 昭和20年の終戦から73年、平成最後の夏となった8月15日、多くの戦没者の御霊がまつられた靖国神社(東京都千代田区)では、早朝から夜まで途切れることなく参拝者が訪れ、それぞれの思いを胸に静かに手を合わせた。夏の強い日差しのなか、靖国での鎮魂の一日を追った。

 (今村義丈、村田直哉)

AM6:00

 セミと鳥の鳴き声がかすかに聞こえる早朝、午前6時の開門を前に、境内北東の神門には、すでに300人を超える参拝者の長い列ができている。

 時計の針が6時を指すと、「ごとん」と音がした。直径約1・5メートルの菊花紋がある門につけられた、大きなかんぬきが外されたのだ。木製の扉が「ギギギギ…」とゆっくり開く。「ドン、ドン」という太鼓とともに、参拝者の列は一斉に動き出し、門前や鳥居前で一礼しながら、拝殿へと向かった。

 第一鳥居(大鳥居)の方から朝日のまばゆい光がまっすぐ差し込み、人々の背中を照らす。黒いスーツやワンピースの喪服の人だけでなく、ポロシャツ姿の高齢者、制服姿の学生、ランニングユニホーム姿の人などが、柏手とともに次々に祈りをささげる。待つ列に話し声はほとんどない。静かに…とでもいうように人さし指を口の前に持っていく人も。御霊をまつる「神域」だということが、改めて思い起こされる。

 東京都練馬区の会社員、森島剛さん(54)は「静かな環境で、清らかな気持ちで、と思って早朝に参拝した。空襲に遭った方々も思って手を合わせた」と話した。千葉県市川市の中学2年の女子生徒(14)は初めて靖国に。特攻隊を描いた百田尚樹氏の小説『永遠の0』などに触れて「日本人としてあの時代を知らなければいけない、忘れてはいけない」と感じ、父母と訪ねたという。

AM7:00

 本殿につながる「参集殿」の扉が開き、昇殿しての正式参拝が始まった。埼玉県川口市の元自衛官、千頭(ちかみ)正明さん(57)は「ただただ感謝と鎮魂の気持ち」と話す。15歳から56歳の定年まで陸上自衛隊に勤務。もちろん無事だったが海外派遣の同僚を見送ったこともある。「国を守る」という同じ立場にいた御霊を深く悼んだ。

 元海軍少尉、林良平さん(95)=東京都中央区=は杖をつきながら8時過ぎ、靖国に来た。「8月15日に、特攻隊で出撃する予定だったんです」。終戦の詔勅で出撃は中止された。当時20代。正直「ほっとした」が、同年代の多くの友が戦死した。「今後の若い人が自分のような体験をしないでよい時代が続いてほしい」。そう願った。

AM10:00

 境内の奥で「バサバサッ」と音が響いた。100羽の真っ白なハトが、御霊に感謝し平和を願う参拝者の「ありがとう」の声で放たれたのだ。毎年恒例の神社側主催の「『日本の声-英霊に感謝する集い』放鳩式」。神社では約300羽の白鳩を大事に飼育している。ハトは境内の空を何度も旋回した。

 「福島県」「広島県」などの旗を掲げた各地の遺族会が目立ち、混雑しはじめた。そばにある日本武道館(千代田区)で昼に行われる、全国戦没者追悼式への参列を前に訪れた人々だ。参拝者は次第に増えて列は神門の外まで延び、午前11時半には拝殿からおよそ150メートルに達した。

正午

 午前11時51分に開会した全国戦没者追悼式のテレビ放送の音声がスピーカーから流れ始め、時報とともに迎えた正午。「黙とう」の合図で、境内の人々は一斉に歩みを止め、頭を垂れた。

 砂利を踏む足音や話し声などが一切止み、強い日差しのなか、セミの声だけが大きく響く。73年前のあの夏も、こんな情景に包まれていたのだろうか-。そう錯覚させるほどの静寂。ご在位中最後の出席となった天皇陛下が「戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」と話されるお言葉を、みな静かに聞いていた。

PM1:30

 太陽が南中を超えて気温はさらに上昇し、セミの声がさらに騒がしく感じられる。セミたちが鳴く木を見ると、多くに札がくくりつけられている。「海軍神雷部隊戦友会」「陸軍士官学校第六十期生」「第三十七師団戦友会」「北支派遣乙第三五一〇部隊」-。生還者や遺族が植えた桜だ。死を覚悟し、靖国の桜の花に生まれ変わって会おう-と誓った人も多い。戦友の思いが詰まった木々には、みずみずしい青葉が揺れていた。

 気象庁によると、この日の東京(北の丸公園)は最高気温33・1度。境内には「麦茶接待所」や、ミストで体感温度を下げる装置が設けられていた。若い男性が、高齢男性を携帯扇風機でいたわりながら腕を引いて参拝する姿もみられた。

PM2:00

 大きな灯籠の付近で、写真撮影の人だかりができていた。旧日本陸軍などの軍服風の服を着た人々が囲まれている。どんな思いでこうした姿をしているのか。「当時はみんな何かしら、戦争という時代に関わっていたことを考えてほしいんです」。旧ドイツ陸軍のレプリカ服を着た、大阪市の会社員男性(59)が口を開いた。

 自身も、海軍兵学校出身の母方の祖父の弟が台湾沖で、ほかの親族がインドでのインパール作戦やサイパン島玉砕で戦死した遺族。「親族や知り合いをたどれば誰かは戦争で亡くなっている。みんな遺族。戦争は絶対起きてほしくない」ともちろん思っている。

 「ただ」と男性は続ける。「『バスに乗り遅れるな』とドイツとの同盟を求める声や東条英機首相を推す声は世論でも大きかった。政府が戦争を始めた、と単純化できない歴史がある」。今も他国から侵害されない抑止力として世界に防衛力、軍隊が存在する現実。「単に戦争や軍隊が悪いというだけでは済まない。それを考えてほしいんです」。男性は語った。

PM3:00

 境内で開かれていた民間主催の青年フォーラムで、海外などで戦没者遺骨収集を続ける学生主体のNPO法人「JYMA日本青年遺骨収集団」の女性が朗読した声明文に、こんな一節があった。

 「天皇陛下の靖国神社御親拝は、皇太子時代には5回行われたものの、ご即位後は行われていない」「総理大臣が靖国神社に堂々と参拝するようになり、天皇陛下の御親拝の道が開かれることこそ、我が国が独立した道義国家となる原点」

 この日、超党派の国会議員でつくる「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」や30代の小泉進次郎自民党筆頭副幹事長らは参拝したが、安倍晋三首相は自民党総裁として玉串料を納めたものの参拝はしなかった。純粋な戦没者慰霊がさまざまな“政治的配慮”でかなわないこともある、敗戦国の難しさが浮かんだ。

 境内の外、九段坂下にある九段下交差点の周囲で警察が警戒にあたるなか、午後4時前ごろから、大きな日の丸や日章旗などを掲げた団体が集まり、歩道が聴衆などでいっぱいになった。以前は、反発する団体との間で過激な言動の応酬が起きることもあった靖国周辺。だが今年は目立った混乱はみられなかった。毎年終戦の日に来る会社員男性(40)は「今年はだいぶ静かだと思った。落ち着いて慰霊ができるのはいいことだ」と話した。

PM6:00

 日が落ちて三日月が輝き始めても、参拝者の波は途切れない。会社帰りとみられるワイシャツとスラックスの人々に混じり、学生の姿もあった。

 千葉県市川市の高校3年の男子生徒(18)は同県船橋市内の学校での自習を終えてから一人で、初めて靖国を訪れた。「戦争や政治のニュースを見るうちに、実際に来て慰霊しなければと思った」という。「千鳥ケ淵戦没者墓苑はどちらの方向でしょう」。靖国で手を合わせたあと、身元が分からなかったり引き取る遺族がいなかったりした遺骨を埋葬し「無名戦没者の墓」と呼ばれる墓苑にも向かい、霊を弔った。

 6時半を回って閉門時刻が近づき、神門の片方の扉が閉められたが、駆け足で門をくぐる人もいる。

 午後7時。靖国の神門はゆっくりと閉じたが、その後も門前で手を合わせる人がわずかながら続いていた。