死闘!黄海海戦 運命の一弾が敵の司令長官を吹き飛ばした

昭和天皇の87年
画=井田智康

日本海海戦(3)

 明治37年8月10日、難攻不落の旅順要塞に固く守られた旅順港に、幾条もの黒煙が上がった。それまで港内の奥深くに引きこもっていたロシア太平洋艦隊(旅順艦隊)の各艦が、出撃するため汽罐(ボイラー)に火をくべたのだ。

 それより前の6月10日、極東ロシア軍の総指揮官アレクセーエフは、旅順艦隊の司令長官ヴィトゲフトに電報を送り、敵艦隊を撃破しウラジオストクへ回航せよと命令した。自信過剰のアレクセーエフは、日本の連合艦隊が複数の主力艦を喪失したとの情報を得て、いまなら勝てると踏んだのである。

 一方、東郷平八郎に率いられた連合艦隊の統率力、機動力、破壊力を知るヴィトゲフトは、とても勝ち目はないとみていた。アレクセーエフにせかされ、6月23日に出撃したものの、連合艦隊の主力と遭遇するや慌てて逃げ戻ったことはすでに書いた通りだ。

 アレクセーエフは激怒した。露都ペテルブルグの皇帝ニコライ2世に旅順艦隊の醜態を電奏し、皇帝から「遺憾である」との勅電を受け取るや、ヴィトゲフトに再び厳命した。

 「勅命を奉じ、ウラジオストクに脱出することを唯一の任務として、速やかに旅順を出港すべし。敵艦隊と交戦する事態になれば必勝を期して断固戦うべし」

 勅命とあれば出撃を拒む選択肢はない。しかもこの頃、陸上では乃木希典(まれすけ)の第3軍が旅順要塞に迫り、その砲弾がしばしば旅順港の艦船を損傷させていた。このままでは戦わずして被害が増えるばかりである。ヴィトゲフトは8月8日、各艦長らを召集して言った。

 「艦隊は10日午前6時の満潮時を期して出港する。必ずウラジオストクへ回航し、勅命を遂行すべし」

× × ×

 かくて錨を上げた旅順艦隊の決戦兵力は戦艦6隻、巡洋艦4隻、駆逐艦8隻。対する連合艦隊は戦艦4隻、巡洋艦14隻、駆逐艦18隻…。連合艦隊に分(ぶ)があるとはいえ、当時の海戦は主力艦の砲力がものをいう。真っ向勝負の砲戦となれば、連合艦隊が勝利するにしても深く傷つき、旅順艦隊の何隻かをウラジオストクへ取り逃がす恐れもあった。

 もしもそうなれば、日本の負けだ。近くロシアから回航されてくるバルチック艦隊に、太刀打ちできなくなるからである。

 だが、東郷には敵を撃滅する秘策があった。

 丁字戦法である。

 縦一列で航行する敵艦隊の前方を横切り、「丁」の字の形になって敵の先頭艦に集中砲火を浴びせるこの戦法は、開戦前から極秘に研究され、連合艦隊の戦策となっていた。そのための猛訓練も重ねており、丁字戦法が決まれば敵の先頭艦はたちまち火だるまとなろう。あとは後続艦を各個撃破すればいい…。

 このとき東郷は、丁字戦法が抱える重大な欠陥に気づいていなかった。

× × ×

 10日午前6時35分、ロシアの旅順艦隊が出港したとの急報を得た東郷は、各艦に出撃を命じ、決戦が予想される海域へ急いだ。

 両艦隊が旅順沖の黄海で会敵したのは12時30分。旗艦三笠に戦闘旗を掲げた東郷は、まず主力の第1戦隊を左8点(90度)に一斉回頭し、横一列になって旅順艦隊を誘い込もうとした。しかし、旅順艦隊が南に針路をとったため、さらに左8点に一斉回頭して縦一列となり、午後1時36分、右16点(180度)に一斉回頭、敵の進路を圧迫しつつ先頭艦を集中砲撃した。

 丁字戦法である。

 旅順艦隊に闘志があれば、激しい砲戦が続いたことだろう。当然、東郷もそうなるものと思っていた。ところが旅順艦隊は次第に離れていく。実は、敵の司令長官ヴィトゲフトに、戦う気など微塵もなかった。彼の狙いはただ一つ、なりふり構わず連合艦隊を振り切り、ウラジオストクへ逃げ込むことだ。

 ここで、丁字戦法の欠陥が露呈する。この戦法は、近づいてくる敵艦を叩きつぶすためのもので、遠ざかる敵艦を追いつめるには不向きだったのだ。

 午後1時57分、東郷は第3戦隊に敵巡洋艦への攻撃を命じ、第1戦隊を右に転回させたが、わずかにタイミングが遅れた。ヴィトゲフトはその隙を見逃さず、南東に針路をとって増速、連合艦隊を引き離しにかかった(※1)。

 東郷は追った。必死に追った。

 ようやく追いついたのは午後5時30分、日没が迫っている。7000メートルの距離で戦闘を再開した東郷の連合艦隊は、今度は逃がすまいと5000~3500メートルまで肉薄し、旅順艦隊に猛烈な砲戦を挑んだ。

 当時の砲手の技量は、日本側の方がロシア側より数段上だとよく言われるが、この黄海海戦に限ればほぼ互角だったといえる。事実、連合艦隊の各艦も損害を被り、中でも旗艦三笠は約20発の命中弾を受けて120人が死傷した。午後6時30分には三笠艦橋の左舷側に被弾し、艦長や参謀らが負傷、その血しぶきが東郷にも飛び散った。

 しかし東郷は艦橋から一歩も離れず、敵の旗艦ツェザレヴィッチを凝視したまま、不動の姿勢で指揮をとり続けた。

 そして、のちに「運命の一弾」と呼ばれる三笠の12インチ砲がツェザレヴィッチの司令塔付近で炸裂(さくれつ)する。

 ときに午後6時37分。ヴィトゲフトの身体は粉々に吹き飛ばされ、司令塔内の艦長、機関長、砲術長、水雷長らが全員死傷。操舵手も舵輪(ハンドル)を握ったまま絶命し、ドオッと倒れた際に舵輪が回転、操舵不能となった旗艦ツェザレヴィッチは左に旋回しながら後続の艦列に突っ込み、大混乱となった旅順艦隊はウラジオストクへの脱出を諦めて潰走した(※2)。

 東郷の運は、本物だったのだ。

 しかしそれは天与のものではなく、自らの闘志が呼び込んだ運だった--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1)東郷はこのとき、敵艦隊が再び旅順港に逃げ込むことを警戒しており、それと反対方向のウラジオストクへ向かう敵艦隊を利する形になった。また、連合艦隊の各艦を回頭させるタイミングが3分遅れたため、追いつくのに2時間以上かかったとされる

(※2)いわゆる「運命の一弾」には2発あり、最初の1発が司令長官ヴィトゲフトを吹き飛ばし、次の1発が操舵手らをなぎ倒したとされる

【参考・引用文献】

○軍令部編『極秘明治三十七八年海戦史』第1部6巻

○北沢法隆著「再考東郷ターン」(日本海事史学会『海事史研究』第58号所収)

○外山三郎著『日露海戦史の研究〈上〉』(教育出版センター)

○野村直邦編『元帥 東郷平八郎』(日本海防協会・東郷元帥顕彰図書刊行会)