自立した集団・筑波大柔道部、「校風」発露の全日本学生優勝大会決勝での“決断”

スポーツ異聞
全日本学生優勝大会決勝の代表戦で、東海大・太田彪雅(右)と組み合う筑波大・佐々木健志=日本武道館

 学生柔道には、大学それぞれに「校風」があると言われる。柔道界を束ねる山下泰裕、井上康生が輩出した東海大は、両氏に抱く「謹厳実直」の印象を今の柔道部にそのまま重ねればよい。「ちょっと変わっている」(柔道関係者)と異風を吹かせているのが筑波大という。「選手の『我』が強く、個々が一本立ちしている」とは鈴木桂治・国士舘大監督の評である。規律で縛られた集団ではなく、自立した者たちが同じ目標に向けて結束した集団だ、と。

 東海大が3連覇した6月24日の全日本学生柔道優勝大会(東京・日本武道館)は、決勝で惜敗した筑波大にむしろ見るべきものが多かった。校風の発露ともいえるシーンがある。

 「オレが決めなきゃな。監督なんだから」

 筑波大の小野卓志監督は、思案を重ね、なお答えを出しかねていた。東海大との団体戦(7人制)決勝は、大将戦を終えて1-1。代表戦に誰を送り出し、決着をつけるか。その人選が悩ましい。

 監督が杖とも柱とも頼むのは佐々木健志(4年)。主将にして、アジア大会81キロ級の代表である。指名すれば誰もがうなずくのは間違いないが、折あしく7人目の大将戦を戦ったばかり。どうする…と逡巡するうちに、佐々木ら3人が「僕にやらせてください」と名乗り出た。

 男子部員は36人。互いの技量も力量も、日頃の稽古でそれぞれの体がよく知っている。話し合いという迂遠な道はたどらず、「じゃんけんで」と主将がさわやかに言った。他の2人もこの提案に乗り、佐々木が勝っている。命運を選手に委ねた小野監督も、やぼな口は挟まない。「どう転んでも自分の責任だ」と、事の顛末(てんまつ)を潔く引き取った。

 東海大はエースの太田彪雅(3年)を立ててきた。昨年のユニバーシアード無差別級優勝など、世界で芽を出しつつある100キロ超級の有望株だ。決勝は4人目の中堅として一本勝ち。残る3試合の間にベンチで骨休めし、余力は十分にある。上水研一朗監督から「『まさか』の事態に備えておけ」とあらかじめ指示を受けており、「代表戦の心構えはできていた」(太田)。このあたり、筑波大と比べても先を見越した二段、三段の備えがある。

 筑波大が無策だった-というわけではない。「僕にやらせてください」と佐々木らが見せた男気も、「じゃんけんで」という風任せの人選も、「校風」というほかない。頼れる主将が大将戦に続く連戦に潔く体を差し出すことになったものの、佐々木の顔には「オレがまとめて面倒みてやる」と書いてある。代表戦という予期せぬ成り行きは、個々の粒が立ったチームの長所を引き出したといえるだろう。

 東海大や国士舘大、明治大などベスト16以上の中で、筑波大は唯一の国立大。推薦入学で取れる有望選手はかぎられている。体重無差別で争うこの大会に、強豪私立が重量級をそろえて臨んだのに対し、筑波大は佐々木ら中量級がチーム12人のうち7人を占めた。ロンドン五輪男子60キロ級銀メダルの平岡拓晃をはじめ、OBに軽量級や中量級の英傑が多い歴史を見ても、今大会の決勝に筑波大が勝ち上がることが、どれほどの難行軍だったかよく分かる。

 「軽い選手を重量級と互角に戦わせるためにどう育てるか。つらいことも多いが、一本の乱取りに取り組む上で、選手の工夫と高い集中力につながっているのも事実」。こう語る小野監督も、筑波大時代にこの大会で重量級と渡り合い、後に北京五輪81キロ級の代表として日の丸を背負った経歴の持ち主である。

 主将の佐々木は、厳しい環境で磨かれた珠玉といえる。重量級を一瞬でほうり投げる体のバネ。窮屈な姿勢から技を出せる、秀でた平衡感覚。大柄な相手ほど燃え立つ闘志、チームの窮地に奮い立つ男気。「道場でも私生活でも、全てが手本になる選手」(小野監督)という。

 散り方も実に清々しかった。118キロの太田に腰を引くことなく、懐に飛び込む果断の攻めが、観衆のどよめきを何度も誘う。両足が宙に浮き、背中が激しく畳を打ったのは、代表戦の開始1分37秒。佐々木の体が紙のように軽く、薄く見えるほど、太田の払い腰は鮮やかだった。

 「優勝に値する結果だと思う。想像以上に力を出し切ってくれた」。俊秀の系譜に新たな歴史を加えた選手たちに、小野監督の目は真っ赤。

 負の感情をかみ殺し、「自分のせいで…」と武道館の天井を仰いだのは佐々木だ。「課題が多い。まだまだだと思います」と、多くを語ることなく敗戦のとがを一身に背負った。この雪辱は今夏のアジア大会で-。悔恨と屈託で充血した目が、そう語っている。

 選手の「自主性」とは詰まるところ、2本の足で立ち、自身の力で歩こうとする意思の発露にほかならない。「指導」とは本来、可燃物を抱えた選手に火種を差し出し、選手自身の手で点火させる作業でしかない。優れた指導者ほど、その作業をさりげなくできる。小野監督は、その1人だろう。

 監督の心残りは、勝ち負けとは別のところにあったようだ。「できることなら、最後の1秒まで試合をさせてやりたかった」と。選手に寄せる指導者の情愛もまた、「校風」が育てたものかもしれない。(森田景史)