壮絶!二〇三高地争奪戦 山頂は両軍将兵の鮮血で染まった 

昭和天皇の87年
画=井田智康

旅順攻囲戦(5)

 明治37(1904)年の晩秋、世界の耳目は極東の半島先端、旅順のロシア要塞に集まった。この要塞への第1回総攻撃で空前の死傷者を出し、第2回総攻撃でも散々な結果に終わった乃木希典(まれすけ)率いる第3軍が、これを最後と第3回総攻撃に踏み切ったのだ。

 ときに11月26日午後1時、第1、第9、第11師団の日本軍将兵が要塞東北正面の永久3堡塁(ほうるい)に突撃を開始。日露両軍入り乱れての銃声、砲声が地に響き、天を裂いた。

 第3軍が三度(みたび)失敗すれば、それまで日本軍に有利に進んでいた全体の戦局が一変しかねない。乃木とその幕僚も、ここが天王山だと十分に理解していた。一方、ロシア側も日本の総攻撃を見越して要塞の補強工事に努めており、万全の迎撃態勢だ。要塞周辺は、みるみる日本軍将兵の死体で埋まっていった。

 同日夜、乃木は総勢3100人余の志願兵からなる決死の白襷(しろだすき)隊を投入。起死回生の夜襲を仕掛ける。だが、味方識別のための白襷が却って敵の標的となり、同隊は要塞前でなぎ倒された。

 最後の総攻撃も失敗に終わるかとみられた翌27日、乃木は決断した。主要攻撃目標を、旅順港を見下ろす二◯三高地に切り替えたのだ。この日、乃木は日記に、1行だけ書いた。

 「二◯三攻撃ヲ第一師団ニ命ズ」

× × ×

 二〇三高地--。この、海抜203メートルの名もなき小山は、日露戦争を象徴する激戦地として今も日本人の心に深く刻まれている。

 第3軍の編成当初、二○三高地は戦略的要衝とはみられず、陸軍中央が用意した地図に陣地すら書かれていなかった。

 ここを攻略拠点として注目したのは、海軍である。旅順港にこもるロシア太平洋艦隊を一刻も早く撃滅したい海軍は、二○三高地の頂上に観測所を設置し、山越えで艦隊を砲撃しようとしたのだ。

 第3回総攻撃で旅順要塞東北正面の攻撃目標を落とせなかった乃木が、主力の第1師団を二○三高地に突撃させたのは、せめてここだけでも取らなければ陸軍全体の士気にかかわると考えたのだろう。

 それだけに、11月27日から始まった二◯三高地の争奪戦は、熾烈(しれつ)を極めた。第3軍の砲兵部隊は28センチ榴弾(りゅうだん)砲をはじめ猛砲撃を行い、翌28日に第1師団の一部が山頂に達したものの、ロシア軍増援部隊の逆襲を受けて壊滅。以後、両軍は死傷も構わず次々と兵力を注ぎ込み、砲弾を撃ち込んだ。

 なお、この争奪戦には満州軍総参謀長の児玉源太郎が作戦に深く関与し、決定的な役割を果たしたとする説が根強いが、公刊戦史や一次史料を読み解く限り、その事実はない。確かに児玉は12月1日に第3軍司令部を督励視察し、乃木から指揮権を委ねられた。しかしすでに戦闘は後半戦に突入しており、作戦への関与は限定的だっただろう(※1)。

 主要攻撃目標を二◯三高地に転換したのも、28センチ榴弾砲を投入したのも第3軍司令官、乃木希典の決断である。

× × ×

 12月5日、二◯三高地はついに落ちた。旅順港を見下ろす山頂には直ちに観測所が設置され、港内に停泊する旅順艦隊各艦を砲撃、その全滅をようやく確認できた。

 ここに乃木の第3軍は、その使命の大半を果たしたのである。

 だが、乃木の心は晴れなかった。この戦闘で1万6938人もの死傷者を出したからだ。その中には乃木の次男、保典も含まれていた。

 後備歩兵第1旅団の副官だった保典は11月30日、至近弾を浴びて戦死した。それを乃木が知ったのは12月1日である。

 翌2日、乃木は日記に、「東京ヨリリンゴ二箱送リ来ル。一ツハ保典ノ分ナリ」と書いた。この時の乃木の気持ちは、どんなものだっただろう。

 6日、占領したばかりの二◯三高地山頂に、黙然と立つ乃木の姿があった。

 どこを見ても、両軍将兵の死体が散乱している。それは、半年前に長男の勝典が戦死した南山の戦場より、凄惨(せいさん)だったに違いない。

 保典の遺品が届けられた11日、乃木は漢詩を詠んで日記に書いた。

 爾霊山(にれいさん)は険なれども豈(あに)攀(よ)じ難からんや

 男子の功名克艱(こっかん)を期す

 鉄血山を覆いて山形改まる

 万人斉(ひと)しく仰ぐ爾霊山(※2)

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1)二○三高地をめぐる争奪戦の後半、乃木から指揮権を委ねられた児玉は、重砲の一部配置転換を命じたが、それは第3軍参謀の作戦案に基づくものだったとされる

(※2)日記に書かれた漢詩は「爾霊山険豈難攀 男子功名期克艱 鉄血覆山々形改 萬人斉仰爾霊山」(原文は旧漢字)。意味は「二〇三高地が険しくても、どうして攻め登れないことがあろうか。男子が功名を立てる時、困難に打ち勝つことを決意している。山は武器の鉄と兵士の血に覆われ、形が変わってしまった。あなたたちの霊が眠る山、二〇三高地を万人は永遠に仰ぎ見るだろう」

【参考・引用文献】

○参謀本部編『明治卅七八年日露戦史』(偕行社)

○和田政雄編『乃木希典日記』(金園社)

○長南政義編『日露戦争第三軍関係史料集』(国書刊行会)

○日本国誠流詩吟会編『吟詠詩集-絶句編』