【昭和天皇の87年】新兵器投入も総攻撃失敗… いよいよ乃木は窮地に立たされた - 産経ニュース

【昭和天皇の87年】新兵器投入も総攻撃失敗… いよいよ乃木は窮地に立たされた

画=井田智康
旅順攻囲戦(4)
 28センチ榴弾(りゅうだん)砲-。日露戦争の勝敗に大きな影響を与えた、国産の陸上兵器だ。口径28センチ、砲身重量1万758キログラム、砲弾重量217~224キログラム、最大射程は7800メートルに達する。
 この巨大砲は明治17~21年、イタリア人砲兵少佐の指導により大阪砲兵工廠(こうしょう)で開発され、海岸防御用の主砲として制式採用された。
 日清戦争より前の、近代兵器を輸入に頼っていた時代だ。海岸防御のためには、より有効な火砲を輸入したらどうかという意見もあったが、当時陸相だった大山巌は国産にこだわった。
 「国防上兵器が独立しなければ、真に国家の独立は期待されない」と考えたからである。
 日露開戦時、陸軍は28センチ榴弾砲を300~400門保有し、海沿いの要塞などに固定配置していた。ひと昔前の兵器だが、その破壊力を利用しない手はない。
 ロシア旅順要塞への第1回総攻撃失敗後、参謀本部は28センチ榴弾砲を旅順に移送し、乃木希典率いる第3軍に与えることを決定。明治37年9月上旬に6門が大連港に揚陸され、同月末までに前線配備が完了した。
 第3軍参謀の井上幾太郎が日記に書く。
 「(10月1日)我二十八珊(サンチ)榴弾砲の砲台完成し、本日初めて東鶏冠山、同北堡塁(ほうるい)、二龍山、松樹山及(および)椅子山に対し砲撃したるに、其(その)効果著大なるを見る」
 事実、28センチ榴弾砲の破壊力は凄まじかった。井上の日記には「我二十八榴の射撃は、効果大に現はれ、毎発命中して大破壊を行へり」などと歓喜する様子がしばしば出てくる。
 ロシア側も、この巨大砲の出現に驚愕した。旅順要塞司令官のステッセルはのちに、「此の砲の出現以来露軍の防御計画は全然破壊せられた」と語っている。
 その破壊力は、要塞を越えて海上にも及んだ。
 井上の同僚、第3軍参謀副長の大庭二郎も日記に書く。
 「廿八(にじゅうはち)榴弾砲は十月一日より発射し、毎日軍艦に命中弾を得しも、数日の後敵艦影を匿(かく)せり」
 もっともこの頃、海軍が恐れるロシアの旅順艦隊はすでに無力化していた。8月10日の黄海海戦で日本の連合艦隊に敗れ、大打撃を受けたからだ。かろうじて沈没を免れた各艦は旅順港に逃げ戻ったが、修復不能で以後は作戦行動ができなくなった。
 しかし、その事実を海軍が確認できなかったため、第3軍はさらなる出血を強いられることになる。
× × ×
 明治37年の晩秋、旅順の空に、再び戦雲が重く垂れこめた。乃木第3軍の一斉突撃、すなわち第2回総攻撃の日が近づいてきたのである。
 第1回総攻撃の失敗に学んだ第3軍は敵の堡塁近くまで着々と塹壕(ざんごう)を掘り進め、10月末には総攻撃の態勢を整えた。加えて今や、28センチ榴弾砲がある。
 だが、勝敗は運にも左右される。この頃の乃木は、とことん不運だった。
 第3軍は9月19~22日、第2回総攻撃の前哨戦として竜眼北方や水師営南方の堡塁群を攻め落としたが、最大の攻撃目標だった二〇三高地を攻略できなかったため失敗とみなされた。
 期待の28センチ榴弾砲を戦列に加えた10月26日~11月1日の総攻撃でも、例えば主要攻撃目標のひとつ、二竜山堡塁の規模を過少に見積もるという、致命的なミスを犯してしまう。
 第3軍参謀副長の日記によれば、二竜山堡塁には外堀があり、その幅は「十二、三米(メートル)との偵察」だったため、長さ14メートルの軍橋を作って突撃直前に架けようとした。ところが実際の幅は15メートルで、橋は「濠幅に足らずして、濠底若干米の所に落下」してしまった。そこで長さ8メートルのはしごを急ぎ準備し、堀の下に降りようとしたものの、「濠の深は実際十二米突ありしなり」で、はしごも「亦(また)深く濠底に落ち」てしまった…。
 ここまでミスが重なると、悲劇を通り越して喜劇である。乃木は早々に攻撃中止を決断した。主要目標の外堀も越えられずに無理攻めすれば、死傷者を増やすだけだ。
 もっとも、第2回総攻撃の死傷者は日本側3830人に対しロシア側4532人。乃木の新戦術はロシア側に、相当な打撃を与えていたといえよう。
 しかし、参謀本部は乃木の新戦術を、全く理解しなかった。
 第2回総攻撃失敗後の11月6日、参謀次長の長岡外史は満州軍参謀の井口省吾に電報を発し、「元来種々の評判多き司令部なれば、此の際一、二の英断を敢てし共同一致を十分にするの必要なきや如何(いかん)」と、第3軍司令部の更迭までにおわせている。
 乃木は、いよいよ窮地に立たされた--。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)
【参考・引用文献】
○佐山二郎著『日本陸軍の火砲 機関砲 要塞砲〈続〉』(光人社)
○大山元帥伝刊行会『元帥公爵大山巌』
○参謀本部編『明治卅七八年日露戦史』
○長南政義編『日露戦争第三軍関係史料集 大庭二郎日記・井上幾太郎日記でみる旅順・奉天戦』(国書刊行会)
○津野田是重(第3軍参謀)『斜陽と鉄血』(偕行社)