「非核化」を“核軍縮交渉”に転落させた米朝首脳会談の米戦略ミス

久保田るり子の朝鮮半島ウオッチ
 共同声明の署名を終え、トランプ米大統領(右)の背中に手をやる北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長=12日、シンガポール(ロイター)

 米朝の「非核化」をめぐる取引は、方法や検証を決める前にトランプ大統領が米韓合同軍事演習を中止したことで「核軍縮」交渉に変質した観が強い。金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が微笑外交に転じたのは、米国の強い軍事圧力が北朝鮮に脅威と恐怖を与えたためだが、史上最大規模の米韓合同軍事演習が「対話が続いている間」は中止されるとなれば、北朝鮮は徐々に相手を懐柔する「サラミ戦術」で対話を続けるだろう。実務協議前に米側がハードルを下げたことで、今後の推移は「段階的、同時並行的」が避け難くなった。

北朝鮮の大勝利

 米韓軍事演習の中断や将来的な在韓米軍撤退への言及は、日本と韓国を驚愕させた。ツイッターでトランプ氏は「北の核の脅威はもはや存在しない。安心して眠ってくれ」とつぶやいたが、安眠するのは金正恩氏の方であろう。

 トランプ氏は、非核化が実現するまで「制裁は継続される」としたが、米朝接近を見て中国や韓国はすでに緊張緩和を口実とした支援に前のめりだ。さらにロシアも支援を表明しており、これまで北朝鮮を追い詰めてきた経済制裁の包囲網は破れはじめている。

 6月12日のシンガポール会談で北朝鮮が得たものは以下の10項目である。

(1)米韓合同軍事演習の中止

(2)将来の在韓米軍撤退への米大統領の言及

(3)対北制裁の足並みの乱れ

(4)共同声明への「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化(CVID)」の不記載

(5)非核化期限の不記載

(6)金正恩氏の世界デビュー

(7)日韓への不意打ち

(8)中国の安全保障への貢献

(9)米国内の評価をめぐる不協和音

(10)核ミサイル開発完成への時間的猶予および金正恩氏の安全

 米韓合同軍事演習中止に関しては「いつでも再開できる」としているが、一旦、中止したものを再開するには根拠が必要だ。しかし、北朝鮮は「安全の保証」を維持するため、今後は対話路線を継続することが予想される。

偽造はお手のもの

 米国の求める非核化の具体策についても、さまざまな偽装工作で国際社会を欺くだろう。会談前、北朝鮮関係者は「米国の要求はすべて受け入れる方針」としたが、非核化については「北朝鮮ですべての核弾頭を探すのは、森のなかで弁当箱に入れたサラミを探すようなもの」と述べた。

 北朝鮮は疑念払拭のためには数個の核弾頭の国外搬出に同意する可能性もある。歴史も指導者のカリスマもドルやタバコも偽造してきた国である。非核化の偽造などお手のものなのだ。米国が「疑惑の施設」への自由な査察を申し入れても、隠匿する意志さえあれば十分に可能だ。

 米国がリビアの非核化に成功した唯一の理由は、米国がカダフィ大佐に「斬首作戦」を突きつけ、「命を取るか、核開発を取るか」と迫ったからだった。北朝鮮の場合、この脅しに当たるのが大規模な米韓軍事演習であった。軍事オプションを外した北朝鮮との取引は、戦略的決断を迫るものとはなり得ない。

非核化は核軍縮交渉

 北朝鮮は2012年4月の最高人民会議の憲法修正で憲法に「核保有国」と明記した。このため北朝鮮はこれまで、国際社会に核保有を認知させたうえで米国と「核軍縮交渉」に臨むことを主張してきた。

 金正恩氏が祖父・金日成(イルソン)、父・金正日(ジョンイル)から受け継いできた「朝鮮半島の非核化」とは、韓国に展開する在韓米軍の核の傘を含む朝鮮半島全体の非核化のことだ。彼らのいう「核軍縮交渉」は在韓米軍撤退が含まれ、その第1段階が米韓合同演習の中止である。トランプ氏はこの第1段階を実施したのだから、北朝鮮からすればこの交渉は「核軍縮交渉」になるわけだ。

 北朝鮮にとって核兵器は、1950年代から70年もの時間をかけて心血を注いできた金一族の「生命維持装置」だ。「非核化」は生命維持装置を交渉材料とする。祖父や父は「核武装で米国に対峙しろ」と遺言したが、「それを捨てろ」とは言っていない。

北朝鮮の「最良の日」

 米情報関係者は「今回の米朝首脳会談で北朝鮮は米国に核保有国であることを認めさせたつもりだろう。米国に彼らが核廃棄すると考える専門家はほとんどゼロだ」と述べている。

 米朝関係は冷戦の産物そのものである。ロシアが朝鮮半島を信託統治する案(モスクワ協定)を無視して南北分断を固定化させた。一方の米国は「米国の防衛線はアリューシャン列島-日本-沖縄-フィリピン」(トルーマン政権のアチソン国務長官)だとしたことが朝鮮戦争の誘因となり、それ以来、米朝の敵対関係が続いてきた。

 核開発を引き継いだ3代目にとってシンガポール会談は、世界に「北朝鮮の核保有」を認めさせた最良の日であったに違いない。

 北朝鮮にとって米国との直接対話は自国の安全保障そのものだった。6回の核実験を経た現在は、「核で米国に恫喝された朝鮮戦争以来、65年目にようやく手に入れた会談」なのだ。

 「非核化の共同宣言」とは米国に核保有を認めさせた証文で、核軍縮交渉だからこそ、金正恩氏は共同声明に署名した。(編集委員)