【メディア会見録】5月(2)「万引き家族」のカンヌ最高賞 フジの宮内正喜社長「感無量」 - 産経ニュース

【メディア会見録】5月(2)「万引き家族」のカンヌ最高賞 フジの宮内正喜社長「感無量」

文化放送の新番組「竹中功のアロハな気分」でDJに挑戦している吉本興業の元広報マン、竹中功さん(大塚創造撮影)
文化放送の新番組「竹中功のアロハな気分」でDJに挑戦している吉本興業の元広報マン、竹中功さん(大塚創造撮影)
 5月に行われたテレビ・ラジオ各局の会見では、4月に引き続き、放送制度改革の議論への言及が相次いだ。また、映画「万引き家族」(是枝裕和監督)がカンヌで最高賞を受賞したことを受け、製作を担当したフジテレビの宮内正喜社長は「感無量」などと喜びを語った。
「災害時に機敏な動きできるか疑念」
 【文化放送会見、5月15日正午~】
 《放送制度改革の議論で、放送設備(ハード)と番組制作(ソフト)の「分離論」が出ていることについて問われ、上口(かみぐち)宏社長が答えた》
 上口社長「規制改革推進会議における産業振興のための議論と、中立をうたった放送法に絡んだ話が、どう結ぶつくのか、正直まだ判然としない」
 「ハードとソフトを分離して、放送局が制作会社としてだけの存在になった場合、災害が起きたときに機敏な動きができるのかという疑念がある。議論が、どういうことをイメージされているのかをお聞きしないと、何とも申し上げにくい」
 《この日の会見ではゲストとして、4月に始まった新番組「竹中功のアロハな気分」を担当している竹中功(いさお)さん(59)が登場。竹中さんは同社に入社後、情報誌「マンスリーよしもと」初代編集長、タレント養成所「よしもとNSC」設立などに携わり、よしもとクリエイティブエージェンシー専務などを経て平成27年に退社。ラジオ番組のDJは今回が初めてといい、感想を述べた》
 竹中さん「NSCを37、8年前につくったんですけど、彼らに言ってたことが自分に戻ってきた。『自分の使いたい言葉で自分が体験したり、見たり、聞いたことをネタにするとしっかり伝わるから、あまり頭で考えたりせずに』とか、『書いたものを丸覚えでしゃべるより、自分の言葉を自分の中身から伝えたらちゃんと伝わって、それが笑いに変わったりするよ』って三十何年前に人に言っていた。それが、そのまま自分に返ってきた。ちゃんと、自分の言葉で自分の言いたいこと言うって難しいなーっていうことに直面した」
 《吉本興業では広報マンとして数多くの謝罪会見に立ち会い、現在は広報や危機管理コンサルタントなどとして活動。人気グループ「TOKIO」の元メンバー、山口達也さん(46)が強制わいせつ容疑で書類送検され、起訴猶予処分となった事件を受け、山口さん以外のTOKIOの4人が行った会見についても言及した》
 竹中さん「それぞれが、一人の男としてお話しされていることはすてきな仲間だと思った」
 「着目したのは、松岡(昌宏)さんで、相手の立場に立った発言が2カ所あった。一つは『ボクが山口だったら、そんな退職願いもらって(預かって)会社に出せるのか』。自分が山口さんだったらって、相手の立場に立って言った。もう一つは、被害者の側に身を置いてみた。相手側に自分を置いて物を見ると視点。松岡さんは、視点がいいところにあった」
「日本だけなく、世界にも受け入れられた」
 【フジテレビ会見、5月25日午後3時~】
 《フジテレビなどが製作した映画「万引き家族」(是枝裕和監督)が第71回カンヌ国際映画祭で最高賞「パルムドール」を受賞したことを受け、宮内正喜社長が感想を述べた》
 宮内社長「是枝監督がずっとテーマにしてこられたのは、家族の関係。『万引き家族』が最高賞を取り、日本だけなく、世界にも受け入れられたのではないかと大変喜んでいる」
 「フジテレビは、是枝監督とはずっとタッグを組んで映画製作をやってきたが、これは一つの大きな記念すべきタイミングだと感無量。栄誉ある賞を頂いた重みをしっかり受け止めて、日本国内でもたくさんの方々にごらんいただけるよう、引き続き丁寧なPRをしていきたい」
 《是枝監督の原点はフジテレビでのドキュメンタリー番組。金光修専務が当時を振り返った》
 金光専務「是枝監督は平成3(1991)年に、まだテレビ番組も作ったことがない頃フジテレビに来て、自分のやりたい企画を大学ノートにしたためた。研究成果をプレゼンし、ドキュメンタリーを作りたいという」
 「当時、私がやっていた(ドキュメンタリー番組)『NONFIX(ノンフィックス)』という枠でやってみようと、55分の『しかし』という作品を作った。それが、その年のギャラクシー大賞の最高賞を取った。ドキュメンタリストとして最初から才能を発揮していた」
 「そのフジテレビのドキュメンタリーの枠で、数々の社会的な問題を扱ったもの…当時は家族的なものよりも社会派的なものを多く作っていて…それ以外の賞も色々取ってた。5、6年、それをやった後、本人の最初からの夢である映画に行きたいと。それで、テレビから離れて映画の方に行かれた」
 「でも、その後も義理堅くフジテレビと関わる映画作品を作ってこられたという経緯で、テレビから入ってテレビでも才能を見せたのだということを思い出す」