玉音が厳かに告げた終戦 その日、列島は涙に包まれた

昭和天皇の87年
画=筑紫直弘

玉音放送(1)

 東京は、からりと晴れていた。

 連日の空襲警報もなく、静かに時が流れていた。

 昭和20年8月15日正午、ラジオから流れるアナウンサーの声。

 「只今(ただいま)より重大なる放送があります。全国聴取者の皆様、ご起立を願います。重大発表であります」

 続いて君が代が奏楽され、玉音が、厳かに終戦を告げた(※1)。

 《朕(ちん)深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ 茲ニ忠良ナル爾(なんじ)臣民ニ告ク 朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇(ソ)四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ》

 《交戦已ニ四歳ヲ閲(けみ)シ 朕カ陸海将兵ノ勇戦 朕カ百僚有司ノ励精 朕カ一億衆庶ノ奉公 各々最善ヲ尽セルニ拘(かかわ)ラス 戦局必スシモ好転セス 世界ノ大勢亦(また)我ニ利アラス 加之(しかのみならず)敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻(しきり)ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ 惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル 而(しか)モ尚交戦ヲ継続セムカ 終(つい)ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス 延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ》

 《惟(おも)フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス 爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル 然レトモ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所 堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス》

 《宜シク挙国一家子孫相伝(あいつた)ヘ 確(かた)ク神州ノ不滅ヲ信シ 任重クシテ道遠キヲ念(おも)ヒ 総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤クシ 志操ヲ鞏(かた)クシ 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ 世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ 爾臣民 其レ克(よ)ク朕カ意ヲ体セヨ》……

 初めて耳にする昭和天皇の声。それを国民は、涙で受け止めた。

 「熱涙滂沱(ぼうだ)として止まず。どう云ふ涙かと云ふ事を自分で考える事が出来ない」(随筆家、内田百●=ひゃっけん ●は門構えに「月」の字)

 「戦争終結をよろこぶ涙ではない。敗戦の事実を悲しむ涙でもない。余りにも大きな日本の転換に遭遇した感動が涙を誘つた」(元国務相秘書官、中村正吾)

× × ×

 このほか、当時の文筆家らは、こんな日記や手記を残している。

 「警報。ラジオが、正午重大発表があるという。天皇陛下御自ら御放送をなさるという。『ここで天皇陛下が、朕とともに死んでくれとおつしやつたら、みんな死ぬわね』と妻が言つた。私もその気持ちだつた。十二時、時報。君ガ代奏楽。詔書の御朗読。やはり戦争終結であつた。遂に負けたのだ。戦いに破れたのだ。夏の太陽がカッカと燃えている。眼に痛い光線。烈日の下に敗戦を知らされた。蝉(せみ)がしきりと鳴いている。音はそれだけだ。静かだ」(作家、高見順)

 「太陽の光は少しもかはらず、透明に強く田と畑の面と木々とを照し、白い雲は静かに浮び、家々からは炊煙がのぼつてゐる。それなのに、戦は敗れたのだ。何の異変も自然におこらないのが信ぜられない」(詩人、伊東靜雄)

 「足元の畳に、大きな音をたてて、私の涙が落ちて行つた。私など或る意味に於て、最も不逞(ふてい)なる臣民の一人である。その私にして斯(か)くの如し」(作家、徳川夢声)

 もっとも、誰もが涙に暮れたのではない。

 「菅原氏曰(いわ)く君知らずや今日正午ラヂオの放送、突如日米戦争停止の趣を公表したりと。恰(あたか)も好し。日の暮るゝ比、三門祠畔に住する大熊氏の媼(おうな)、鶏肉葡萄酒を持ち来れり。一同平和克複の祝宴を張る」(作家、永井荷風)

 「(駅のプラットホームで)初めてきく天皇の声は、雑音だらけで聴き取り難かった。それが終戦を告げていることだけはわかったが、まわりの連中はイラ立っていた。突然、僕の背中の方で赤ん坊の泣き声がきこえ、頭の真上から照りつける真夏の太陽が堪(たま)らなく暑くなってきた。重大放送はまだ続いていたが、母親は赤ん坊を抱えて電車に乗った。僕も、それにならった」(作家、安岡章太郎)

× × ×

 一方、栃木県奥日光のホテルの一室では、学習院の制服姿の少年が一人、ラジオの前に正座し、両手の拳を握りしめながら、玉音の一言一句に耳を傾けていた--。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1)玉音放送 ポツダム宣言受諾による日本の敗戦を、昭和天皇が国民に直接告げたラジオ放送。前夜に昭和天皇が音読し、録音した「大東亜戦争終結に関する詔書」(終戦の詔書)が、昭和20年8月15日、国内だけでなく外地の在留邦人、日本軍将兵に向けて流された。当日は朝から「正午に重大放送がある」「天皇陛下が自ら放送される」「国民は必ず聴取するように」などの予告がラジオや新聞の特報で告げられ、多くの国民がはじめて昭和天皇の声を聞いた。その一方、戦時下における劣悪な放送環境により、「雑音がひどかった」「あまり聞き取れなかった」とする証言も多い。放送後、積極侵攻作戦中止の大陸令、大海令が発せられ、当時国内に計370万人、国外に計360万人以上の兵力を有していた日本軍は一夜にして銃を置いた。その影響は大きく、公式の戦争終結は降伏文書に調印した9月2日だが、玉音放送が流れた8月15日をもって終戦の日と記憶されることになった

【参考・引用文献】

○宮内庁編『昭和天皇実録』34巻

○内田百●『東京焼盡』(大日本雄弁会講談社)

○中村正吾『永田町一番地』(ニュース社)

○高見順『敗戦日記』(文藝春秋新社)

○桑原武夫編『伊東靜雄全集』(人文書院)

○徳川夢声『夢声戦争日記』5巻(中央公論社)

○永井壮吉(荷風の本名)『永井荷風日記(断腸亭日乗)』7巻(東都書房)

○安岡章太郎『僕の昭和史(1)』(講談社)