「万民の生命を助けたい」…天皇は何度も手袋で眼鏡をぬぐった

昭和天皇の87年
画=筑紫直弘

涙の聖断(2)

 《天皇は、国内外の現状、彼我国力・戦力から判断して自ら戦争終結を決意したものにして、変わりはないこと、我が国体については外相の見解どおり先方も認めていると解釈すること、敵の保障占領には一抹の不安なしとしないが、戦争を継続すれば国体も国家の将来もなくなること、これに反し、即時停戦すれば将来発展の根基は残ること、武装解除・戦争犯罪人の差し出しは堪え難きも、国家と国民の幸福のためには、三国干渉時の明治天皇の御決断(※1)に倣い、決心した旨を仰せられ、各員の賛成を求められる》(昭和天皇実録34巻45頁)

 昭和20年8月14日の正午前、真夏の太陽が届かない地下10メートルの御文庫附属室で厳かに下された、戦争終結を告げる聖断--。『昭和天皇実録』には要約しか記されていないが、この聖断の一字一句を、内閣情報局総裁として出席した下村宏が、ほかの出席者の手記やメモとも照らし合わせて戦後に書き残している。

 周囲がしんと静まる中、昭和天皇はこう言った。

× × ×

 --外(ほか)に別段意見の発言がなければ私の考えを述べる。

 反対論の意見はそれぞれよく聞いたが、私の考えはこの前申したことに変わりはない。私は世界の現状と国内の事情とを十分検討した結果、これ以上戦争を続けることは無理だと考える。

 国体問題についていろいろ疑義があるとのことであるが、私はこの回答文の文意を通じて、先方は相当好意を持っているものと解釈する。先方の態度に一抹(いちまつ)の不安があるというのも一応はもっともだが、私はそう疑いたくない。要は我が国民全体の信念と覚悟の問題であると思うから、この際先方の申入れを受諾してよろしいと考える。どうか皆もそう考えて貰(もら)いたい。

 さらに陸海軍の将兵にとって武装の解除なり保障占領というようなことはまことに堪え難いことで、その心持は私にはよくわかる。しかし自分はいかになろうとも、万民の生命を助けたい。この上戦争を続けては結局我が邦(くに)がまったく焦土となり、万民にこれ以上苦悩を嘗(な)めさせることは私としてじつに忍び難い。祖宗の霊にお応えできない。和平の手段によるとしても、素より先方の遣り方に全幅の信頼を措き難いのは当然であるが、日本がまったく無くなるという結果にくらべて、少しでも種子が残りさえすればさらにまた復興という光明も考えられる。

 私は明治大帝が涙をのんで思いきられたる三国干渉当時の御苦衷をしのび、この際耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、一致協力将来の回復に立ち直りたいと思う。今日まで戦場に在って陣没し、或(あるい)は殉職して非命に倒れた者、またその遺族を思うときは悲嘆に堪えぬ次第である。また戦傷を負い戦災をこうむり、家業を失いたる者の生活に至りては私の深く心配する所である。

 この際私としてなすべきことがあれば何でもいとわない。国民に呼びかけることがよければ私はいつでもマイクの前にも立つ。一般国民には今まで何も知らせずにいたのであるから、突然この決定を聞く場合動揺も甚(はなはだ)しかろう。陸海将兵にはさらに動揺も大きいであろう。この気持をなだめることは相当困難なことであろうが、どうか私の心持をよく理解して陸海軍大臣は共に努力し、よく治るようにしてもらいたい。

 必要あらば自分が親しく説き諭してもかまわない。この際詔書を出す必要もあろうから、政府はさっそくその起案をしてもらいたい。

 以上は私の考えである--

× × ×

 御文庫附属室のコンクリート壁をも震わす玉声。出席者の誰もが泣いていた。激しく嗚咽(おえつ)する者もいた。

 昭和天皇もまた、白い手袋で何度も眼鏡を拭った。

 聖断は下された--。

 下村は書く。

 「陛下は席をたゝれた。一同は涙の中にお見送りした。泣きじやくり泣きじやくり一人々々椅子を離れた。長い長い地下壕をすぐる間も、車中の人となつても、首相官邸へ引き上げても、たまりの間にも閣議の席にも、思い出してはしやくり上げ、涙は止め度もなく流れる……」(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1)三国干渉時の明治天皇の御決断 1894~95(明治27~28)年の日清戦争で勝利した日本は、清国との講和条約により遼東半島の割譲を受けたが、これに反発するロシアが領有を放棄するよう日本に勧告。ドイツとフランスも追随した。日本は御前会議を開いて対応を協議し、イギリスなどに働きかけて3国の干渉を排除しようとしたが、武力を誇示するロシアの圧力に抗しきれず、遼東半島の返還を決定。明治天皇が詔勅で国民に告げた。以後、日本は「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」をスローガンに国力の増強に努め、1904~05(明治37~38)年の日露戦争でロシアの陸海軍を撃破。三国干渉の雪辱を果たし、アジアの強国となった

【参考・引用文献】

◯宮内庁編『昭和天皇実録』34巻

○下村海南『終戦秘史』(大日本雄弁会講談社)