運命の閣議 埋まらぬ賛否の溝 「再び御聖断を仰ぐしかない」

昭和天皇の87年
画=筑紫直弘

バーンズ回答の衝撃(6)

 昭和20年8月13日午後4時、ポツダム宣言受諾に対する連合国の正式回答が届いたのを受け、日本の最終的な対応を決める閣議が開かれた。

 議題は一つ、国体護持について連合国に再照会すべきかどうかだ。

 総合計画局長官として出席した池田純久が、閣議の様子を戦後に書き残している。冒頭、首相の鈴木貫太郎が閣僚一人ひとりの意見を改めて確かめた。

 東郷茂徳外相「(連合国の回答は)全体として上々ではないが、わがほうの目的は達せられるので、受諾しても差し支えないと思う」

 松阪広政司法相「日本の統治権はすでに決まっている。遺憾ながらこの回答文は承認しがたい」

 桜井兵五郎国務相「希望を付けて総理に一任する。戦争継続はできない。無理にやればドイツ以上に悲惨なことになる」

 広瀬豊作蔵相「外相の意見に同意する。ソ連参戦によって生産力は全く停頓する。今日屈して他日伸びるべきだ」

 石黒忠篤(ただあつ)農商相「この際受諾するを可とする」

 安井藤治(とうじ)国務相「この案には不満もあるが、国務と統帥とが一体となりうるならば受諾するがよい」

 小日山直登運輸相「不満であり残念ではあるが、大御心(おおみごころ)や国内状況を観察すれば、受諾する以外に方法はない」

 安倍源基内相「この回答文では国体の護持に保証はできない。一億玉砕、死中に活を求むる以外に方法はない。さらに交渉するか、戦うかは総理に一任する」

 下村宏国務相「先方と交渉できるとも思えるが、万一、交渉が決裂して戦争となり焦土となっては、すべてが終りである。大御心も拝した。受諾のほかはなかろう」

 左近司政三国務相「これ以上の交戦は民族の破滅。国体の護持はできない。忍ぶべきである」

 阿南惟幾(これちか)陸相「回答文には不安がある。疑問点があれば堂々と再交渉すべきだ。どうして意気地なく屈するのか、その理由が分からない」

 ひと通り意見が出そろったところで、鈴木が口を開いた。

 「確かに国体護持に危険を感ずる。さりとて戦争継続もできぬ。陛下の大御心に反してはならない。よって、自分としては再び御聖断を仰ぐ決心である」

 賛否の溝が埋まらない中、最終決定を昭和天皇の判断、すなわち聖断に託そうという鈴木の発言は、閣僚の耳に重く響いたようだ。

 抗戦派の阿南も、こう言うのが精一杯だった。

 「御聖断に反するわけではない。あらためて希望を述べるばかりである」

 これで終戦への道筋はついた。

 だが一方、陸軍内では、鈴木ら終戦派が最も恐れていたことが起きようとしていた。

 クーデター計画が阿南のもとに持ち込まれたのだ-。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜に掲載)

【参考・引用文献】

◯外務省編『終戦史録』(官公庁資料編纂会)

◯池田純久『日本の曲り角 軍閥の悲劇と最後の御前会議』(千城出版)

戦前の内閣 現行憲法で内閣総理大臣(首相)は、「国務大臣を任命する」とともに「任意に国務大臣を罷免することができる」と規定されているが(68条)、大日本帝国憲法には内閣や首相に関する記述はなく、各国務大臣がそれぞれ「天皇ヲ輔弼(ほひつ)シ其ノ責ニ任ス」と規定していた(55条)。このため戦前の首相は「同輩である閣僚の中の首席」という位置づけで、全閣僚の意見を統一できなければ内閣を維持できなかった。

ポツダム宣言受諾をめぐる内閣の迷走 「全日本軍の無条件降伏」などを求めたポツダム宣言に対し、昭和20年8月9日の閣議では、国体護持(天皇の地位の保全)を唯一絶対の条件として受諾すべきとする外相案を大半の閣僚が支持した。だが、12日未明に傍受した連合国の回答(バーンズ回答)に「天皇は連合軍最高司令官にsubject to(従属)する」との文言があったことから、翌13日の閣議は雰囲気が一変。総合計画局長官だった池田純久の手記によれば、陸相に加え内相と司法相が即時受諾の外相案に反対し、閣内不一致で内閣は崩壊の危機に陥った。