首相が変心! 外相は天を仰いだ 「もはや陛下しかいない…」 

昭和天皇の87年
画=筑紫直弘

バーンズ回答の衝撃(4)

 昭和20年8月12日午後3時、首相の鈴木貫太郎は閣僚懇談会を招集した。ポツダム宣言受諾をめぐる連合国回答(バーンズ回答)への対応を協議するためである。

 席上、回答を受け入れるべきと主張する外相の東郷茂徳に対し、陸相の阿南惟幾(これちか)が反論した。

 「このまま回答を受け入れれば日本が唯一絶対の条件とする国体護持が不安であるから再照会すべきである。あわせて自主的武装解除と占領地域の限定についても照会すべきである」

 東郷は断固反対した。

 「再照会すれば、連合国は日本の終戦決意を疑い、交渉の糸口が切れてしまう恐れが大である。その上、聖断により受諾条件としないことになった自主的武装解除などを今になって持ち出すのは、自ら交渉を打ち壊すことと同じだ」

 このとき、東郷にとって予想外だったのは、内相の安倍源基と法相の松阪広政が発言を求め、阿南の再照会論を支持したことだった。

 聖断が下される前の臨時閣議で東郷と阿南が衝突した際、大半の閣僚は東郷を支持したが、バーンズ回答がもたらされた後の閣僚懇談会では、空気ががらりと変わっていたのだ。東郷は閣僚懇談会を中座し、外務次官の松本俊一に電話をかけた。

 「形勢はすこぶる悪い」

× × ×

 東郷をさらに追い詰めたのは、同志と頼んでいた首相、鈴木の変心である。閣僚懇談会の終盤で鈴木は、こう言って議論を締めくくろうとした。

 「この回答文では、国体護持が確認されないし、また、武装解除も全く先方の思うままにされるのは軍人として忍びないから、再照会してみよう。もし、聞かれざれば、戦争を継続するもやむを得ない」

 東郷は愕然とした。鈴木の発言は交渉決裂と同義である。

 (このまま議論を終わらせてはならない)-

 東郷はとっさに言った。

 「バーンズ回答は米サンフランシスコのラジオ放送を傍受したもので、正式な回答ではない。正式な回答がきてから改めて議論したい」

 この発言で、閣僚懇談会はいったん散会した。

 だが、いまや終戦派と抗戦派の形勢は完全に逆転している。憔悴(しょうすい)して外務省に戻った東郷は、次官の松本に辞意を漏らした。

 外務省編集の『終戦史録』が書く。

 「鈴木首相の再照会論に遭い、流石(さすが)に東郷外相も『もう駄目だ』となげかかった。このことを聞いた松平(内大臣秘書官長の松平康昌)は外務省に外相を訪ね、寸刻でいいからと面会方を求め外相を激励促言した。『日本には「カケコミ訴エ」ということがある。外務大臣として、「カケコミ訴エ」をやって御覧(ごらん)なさい。陛下は待っていらっしゃるかも知れぬから』…」

× × ×

 鈴木の変心により、「もう駄目だ」と天を仰いだ東郷だが、「陛下」と聞いて勇気を取り戻す。

 (そうとも、ここであきらめたら国家が破滅してしまう)-

 以後、東郷を中心とする終戦派は巻き返し工作に奔走する。連合国の正式回答の公電は同日午後6時頃に届く見込みだったが、これを翌13日朝に届いたことにして時間をかせいだ。

 それでも猶予はあと半日しかない。東郷は車に飛び乗り、皇居へ急がせた。

 もはや最後の頼みは、昭和天皇しかいなかった-。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

【参考・引用文献】

○外務省編『終戦史録』(官公庁資料編纂会)

○『終戦史録』所収の「松平康昌口述要旨」

連合国回答とバーンズ回答 国体護持を唯一絶対の条件とし、ポツダム宣言を受諾するとした日本政府に対する連合国の回答は、中立国の在スイス日本公使と在スウェーデン日本公使に手交され、昭和20年8月12日午後6時過ぎ、両公使からの電報が外務省に入電した。だが、それより前の同日午前零時、米国務長官ジェームス・バーンズの書簡として、この回答の内容が米サンフランシスコのラジオ放送で発表され、それを外務省などが傍受。「天皇は連合軍最高司令官にsubject to(従属)する」などの文言があったことから、政府と軍部は大混乱に陥った。