【昭和天皇の87年】激高する軍部 天皇は「至極冷静に」対応した - 産経ニュース

【昭和天皇の87年】激高する軍部 天皇は「至極冷静に」対応した

画=筑紫直弘
バーンズ回答の衝撃(1)
 昭和20年8月10日、昭和天皇の聖断により、「国体護持」を唯一の条件として米英中ソに発信されたポツダム宣言受諾の緊急電報-。その回答が、12日に返ってきた。
 「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は、連合軍最高司令官にsubject toする…」
 外務省に、激震が走った。
 (be)subject toの意味は「支配下にある」、もしくは「従属する」だ。これを直訳すれば抗戦派が激怒するに違いない。
 しかも回答には、「最終的な日本の政治形態(The ultimate form of government of Japan)は日本国民の自由に表明する意思により決定される」とあった。
 主権在民の発想であり、天皇主権の大日本帝国憲法と相いれない。唯一絶対の条件であった「国体護持」が、拒絶されたとも解釈できた。
 この回答は12日午前零時、米サンフランシスコのラジオ放送より、米国務長官ジェームス・バーンズの書簡(バーンズ回答)として発表された。それを傍受した外務省は、「subject to」を「従属する」ではなく「制限の下に置かれる」、「form of government」を「政治形態」ではなく「政府の形態」と意訳した。
 政府であれば天皇は含まれない。陸軍など抗戦派の反発を恐れての、精一杯“穏やかな表現”だった。当時、外務省の条約局長としてバーンズ回答の翻訳にあたった渋沢信一は、戦後の手記で「軍人は訳文にたよるに違いないからこれはうまく訳さなければいかぬと思った」と述懐している。
 だが、すでに陸軍も回答を入手し、抗戦派は「隷属する」と訳していた。
× × ×
 なぜアメリカは、日本側が受け入れがたい回答をよこしたのか。
 実は、日本からのポツダム宣言受諾電報について米大統領ハリー・トルーマンが側近らと協議した際、陸軍長官ヘンリー・スチムソンと軍事顧問ウィリアム・リーヒーは国体護持の条件を承認すべきだと主張した。これに対しバーンズが、日本側が持ち出した条件を受け入れる形はとりたくないとして、自らペンをとって回答文を起草したのだ。
 バーンズは、日本への原爆投下を強く主張した人物としても知られている。
 この回答に、果たして抗戦派は激高した。参謀総長と軍令部総長がそろって参内し、昭和天皇に受諾拒否を求めたのである。
 以下、『昭和天皇実録』が書く。
 《(8月12日)午前八時四十分、(昭和天皇は)御文庫において参謀総長梅津美治郎・軍令部総長豊田副武(そえむ)に謁を賜い、当面の作戦につき奏上を受けられる。また両総長より、サンフランシスコ放送を通じて入手のバーンズ回答の如(ごと)き和平条件は断乎(だんこ)として峻拒(しゅんきょ)すべきであり、統帥部としては改めて政府との間に意見の一致を求め、聖断を仰ぎたき旨の奏上を受けられる》(34巻39~40頁)
 バーンズ回答では国体護持が危うい、もはや徹底抗戦しかないという、両総長の憤慨ぶりが伝わってくるようだ。
 これに対し昭和天皇は、「至極冷静に」対応したと、当時参謀次長だった河辺虎四郎が戦後に回想している。
 「梅津総長が(皇居から)帰って来られたとき、上奏の際の模様をたずねたところ、天皇は至極冷静に総長の申し上げることをお聴きの後、公式の敵側の返信でもない放送、しかもその日本の訳語もよく練ったものかどうかも疑わしいのに、それをつかまえてやかましく議論立てすることなど、つつしむべきだと、両総長をむしろ戒められるお気持ちを拝したとのことであった」
 だが、それで大人しく引き下がる抗戦派ではなかった-。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)
【参考・引用文献】
◯宮内庁編『昭和天皇実録』34巻
◯外務省編『終戦史録』(官公庁資料編纂会)
○迫水久常『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』(ちくま学芸文庫)
○河辺虎四郎『市ケ谷台から市ケ谷台へ 最後の参謀次長の回想録』(時事通信社)
ポツダム宣言 「全日本軍の無条件降伏」などを求めた米英中3カ国首脳による宣言。軍国主義の除去▽領土の限定▽武装解除▽戦争犯罪人の処罰▽民主主義的傾向の復活-などの条件を示した上、日本への降伏要求の最終宣言として、1945(昭和20)年7月26日にドイツ・ベルリン郊外のポツダムで発表された。これに日本の陸海軍は反発したが、東郷茂徳外相をはじめ終戦派は、国体護持(天皇の地位の保全)を唯一絶対の条件として受諾すべきと主張。激論の末、昭和天皇の聖断により外相案で決定し、中立国を通じて米英中ソ4カ国に「(ポツダム宣言の)条件中には天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らざることの了解の下に右宣言を受諾す…」とする緊急電報が発せられた。