【昭和天皇の87年】陸相と海相が激論 「もはや聖断しかない」 - 産経ニュース

【昭和天皇の87年】陸相と海相が激論 「もはや聖断しかない」

画=筑紫直弘
大日本帝国最後の一週間(3)
 「天皇の終戦御希望の熱意は、(政軍首脳部の)つとに知るところであった。しかし、一方、内地には尚戦わざる数百万の軍隊が存し、外地には、二百余万の軍が在(あ)った。その軍の中枢部は本土決戦を主張する意見が優勢を占めていた。一歩誤らば、叛軍(はんぐん)となって、内は、内乱を起し、外はゲリラ戦に出ずるおそれがあり、情勢は複雑微妙であった」
 昭和27年に外務省が編集した『終戦史録』に、こう記されている。ソ連の大軍が突如として満州に攻め込んだ20年8月9日、ポツダム宣言受諾をめぐる抗戦派と終戦派の駆け引きは、重大局面を迎えたといえるだろう。
 この日、午前10時半過ぎから午後1時過ぎまで行われた最高戦争指導会議で、外相の東郷茂徳は国体護持のみを条件としてポツダム宣言を受諾すべきと主張した。しかし自説を通せず、より好条件でなければ戦うべきと息巻く陸海両総長らに押し切られた形になってしまった。
 とはいえ、その後の閣議でひっくり返す成算はあった。閣議には、陸海両総長が出席しないからだ。陸相の阿南惟幾(これちか)が唯一、強硬に反対するだろうが、大半の閣僚の支持を得られると、東郷は思っていた。
 しかも、閣議決定は全会一致が原則だ。外相と陸相が対立したまま決定を下せず、最後は昭和天皇の決心、すなわち「聖断」によって決しようというのが、東郷の腹だった。
× × ×
 午後2時半、首相官邸で始まった臨時閣議は、1時間の休憩をはさんで前後7時間に及んだ。
 このとき、最高戦争指導会議の方針を白紙に戻そうと果敢に論争を挑んだのは、海相の米内光政である。
 終戦派の米内は、最高戦争指導会議ではほとんど発言しなかった。その結果、抗戦派の主張が通ってしまったことに、責任を感じていたのではないか。温厚な性格で口数が少なく、凡庸(ぼんよう)然としているため「昼行灯(あんどん)」とも陰口された米内だが、この時の発言には鬼気迫るものがあった。
 内閣情報局総裁だった下村宏が、閣議の緊迫したやりとりを戦後に書き残している。
 阿南「原子爆弾、ソ連の参戦、これに対しソロバンずくでは勝利のメドがない。しかし大和民族の名誉のため戦い続けている中には何らかのチャンスがある。死中に活を求むる戦法に出れば完敗を喫することなくむしろ戦局を好転させうる公算もある」
 米内「現在の国内情勢では戦争を継続できるか疑う。海相としては英米に対して勝味はない。降伏して日本を救い得るか。それとも一か八かとにかく戦いつづけるのがよいか、極めて冷静に合理的に判断すべきである。面目、面子(メンツ)などにこだわっていられない」
 阿南「(連合国に)保障占領された後では口も手も出しようがない。先方のなすままとなる。統帥府の空気は私より強い。戦局は五分五分である。互角である。敗(まけ)とはみていない」
 米内「戦争は互角というが、科学戦として武力戦として明らかに敗けている。局所局所の武勇伝は別であるが、ブーゲンビル戦以来、サイパン、ルソン、レイテ、硫黄島、沖縄みな然り、みな負けている」
 阿南「会戦では負けているが戦争では負けていない、陸海軍間の感覚が違う」
 米内「敗北とはいわぬが、日本は負けている」
 阿南「負けているとは思わぬ」
 米内「勝つ見込みがあれば問題はない」
 阿南「ソロバンでは判断できぬ。とにかく国体の護持が危険である。条件つきにて国体が護持できるのである。手足をもがれてどうして護持できるか」
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 戦局をめぐり、激しく火花を散らす陸相と海相-。下村の回顧録によれば、ほかの閣僚からは次のような発言があった。
 豊田貞次郎軍需相「六月中旬より空襲激化し、七月青函船撃沈され、爾来(じらい)汽車も日本海側も瀬戸内海も輸送力低下し、青函船一カ月一六万トンの石炭は一〇万トンを欠き、青森の貯炭一〇万トンを以て一時しのぎをしている。軍需工場では安全感を失い政府にも軍にも信を置かない」
 石黒忠篤農商相「食糧は非常に困難となり、飢餓の状態はやむを得ない。ことに動員兵の民家に食をあさるに至りしは、誠に寒心すべきものあり、今後の事態は大いに懸念に堪えない」
 小日山直登運輸相「鮮満(朝鮮と満洲)はもとより今後北海道との交通すら極めて困難であり、関門トンネル必ずしも保証ができない。海上の封鎖は一層強くなり、九州の輸送関係も断たれるおそれあり」……
 日本は、戦える状況ではなかったのだ。
 閣議の終盤、首相の鈴木貫太郎は、ポツダム宣言受諾にあたり国体護持のみを条件とする外相案への賛否を求めた。
 だが、大半の閣僚が賛成したものの、保障占領の拒否など4条件を求める陸相案を支持する声もあり、意見の一致をみなかった。
 もはや聖断しかない。
 閣議の散会後、鈴木は皇居へ急いだ。時計の針は、午後10時を回っていた--。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)
【参考・引用文献】
◯外務省編『終戦史録』(官公庁資料編纂会)
○同書所収の「東郷外相手記」
○下村海南『終戦記』(鎌倉文庫)
国体護持 天皇を中心とする日本国の根源的な政治および社会秩序(国体)を保全すること。「全日本軍の無条件降伏」などを求めたポツダム宣言には、戦後の天皇の地位について明確に書かれておらず、東郷茂徳外相ら終戦派は、国体護持のみを唯一絶対の条件として宣言を受諾すべきだと訴えた。これに対し阿南惟幾陸相ら抗戦派は、国体護持に加え(1)武装解除の方法(2)戦争犯罪の自主処分(3)被占領地域の範囲-についても条件をつけるべきだと主張した。
保障占領 賠償金の支払いなど相手国に条約上の義務を履行させるため、領土の一部または全部を占領すること。第1次世界大戦では、ドイツに課せられた莫大な賠償金の支払いが滞ったため、フランスなどがライン川左岸やルール地方を保障占領した。これによりドイツ経済は大打撃を被り、戦後復興が大幅に遅れることとなった。