民進・大塚耕平代表就任100日、調整不足で結果出せず 「桜が咲く頃」には…?

野党ウオッチ
1月5日、連合の新年交歓会で顔をそろえた(左から)民進党の大塚耕平代表、立憲民主党の枝野幸男代表、希望の党の玉木雄一郎代表。大塚氏が目指す野党再編は同床異夢だ=東京都荒川区(飯田英男撮影)

 民進党の大塚耕平代表(58)が就任してから2月上旬で100日が経過した。大塚氏は分裂した野党勢力の再構築を目指すが、調整力不足が目立ち、党勢回復の道筋はまだ見えてこない。党支持率も1%未満の超低空飛行を続ける中、執行部は反転攻勢に出るため「桜が咲く頃」に希望の党と新党結成をもくろむ。ただ、立憲民主党との連携を目指す岡田克也常任顧問(64)ら衆院側とのすれ違いもあり、結実するかは不透明だ。

 「3カ月前に想定していたことについては、早い遅いは若干あるにせよ、確実に前に進んでいる」

 大塚氏は2月1日の記者会見で、就任時に掲げた「ポリティカル・イノベーション(政治的革新)」の進捗について問われ、こう答えた。ポリティカル・イノベーションという言葉はあまり浸透していないが、昨年の衆院選で分裂した立憲民主党、希望の党が民進党を中心に再結集し、政権交代を実現することを意味する。

 その第一歩である野党再編は、大塚氏が強調する「前進」とはほど遠い。民進党は昨年10月31日、前原誠司代表(55、現希望の党)の後任として大塚氏を選出し、11月8日に新執行部が発足した。大塚氏は地方組織の声を重視するなど聞き役に徹し、党勢の建て直しを図ってきたが、調整力不足が目立った。

 代表就任直後に着手した党改革では(1)新党移行(2)党名変更(3)現状維持-の3つの再生案を示しながら、年内に意見集約ができず「できる限り早期に新しい党に生まれ変わる」という玉虫色の決着で終わった。その後、年末年始を返上して通常国会前までに希望の党との統一会派結成を目指したが、党内の反対派への根回しが不十分で頓挫した。

 党内では「代表をはじめ、今の執行部はみんな優しすぎる。丁寧に話を聞くのはいいが、結果を出さないと、また『決められない政治』との批判を受ける」と焦りを募らせる声もあがっている。

 2月4日に東京都内で開かれた党大会は、本来であれば執行部の成果を打ち出す機会でもあった。だが、具体的な再生策は間に合わず「中道的な新しい党を目指す」と明記した2018年度活動方針を採択するにとどまった。杉尾秀哉参院議員(60)は大会終了後、記者団に「あっさり終わってしまった。もう少し具体論があるといいなと思った。ちょっと残念だ」と不満を漏らした。

 支持率も上向く気配がない。産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の合同世論調査で、昨年11月に1・5%だった民進党の支持率は12月に1・8%に微増したものの、今年1月、2月の調査と2回連続で0・7%だった。

 こうした中、大塚氏は2月14日、日本外国特派員協会(東京都千代田区)で会見し、統一地方選と参院選の1年前となる今年4月と7月を「一定の節目」として、「新しい党への移行」に向けた調整を加速させたい考えを示した。これに先だって大塚氏は希望の党の玉木雄一郎代表(48)に新党結成を打診するなど水面下で動き出している。

 19日夜には「元同僚」の希望の党の泉健太国対委員長(43)が東京都内で開いた政治資金パーティーで「野党を再結集させるのが私の仕事だ」と訴え、民進、希望両党の合流と新党結成に意欲を示した。希望の党の古川元久幹事長(52)も「一日も早く新しい党が実現することを祈念する」と応じた。

 新党結成の時期に関し、党幹部は「5月1日のメーデー」(増子輝彦幹事長)、「桜の咲く頃」(羽田雄一郎参院幹事長)と語る。今後動きが本格化していくとみられる。

 ただ、岡田氏ら衆院側から新党構想に待ったがかかる可能性が高い。先の衆院選で「排除」を掲げた希望の党への忌避感が根強く残っているからだ。

 排除された側の野田佳彦前首相(60)は自身のブログで「まずは立憲民主党との連携から始める。小池百合子東京都知事およびその周辺のカラーが脱色されるのを見定めてから希望の党との連携を探るべきだ」と主張した。岡田氏も記者会見で「小池氏が主導してできた党とは違う存在でないといけない」と語り、執行部側との溝が浮き彫りになっている。

 1月の希望の党との統一会派交渉の際は岡田氏らに土壇場でひっくり返された。後がない大塚執行部にとっては、他党への働きかけよりもまずは党内の根回しがカギになりそうだ。 (政治部 広池慶一)

 大塚耕平(おおつか・こうへい) 昭和34年10月5日、名古屋市生まれ。早稲田大学政経学部卒、同大学院博士課程修了。日本銀行勤務を経て平成13年の参院選愛知選挙区で初当選、現在3期目。民主党政権では内閣府副大臣、厚生労働副大臣を歴任した。党分裂直後の29年10月の民進党代表選にただ一人立候補し、無投票で当選。同党4人目の代表に就任した。