統一前夜か、戦争前夜か 平昌に北から老若男女が 乗っ取られた五輪

ソウルから 倭人の眼
平昌五輪の開会式で韓国の文在寅大統領(左)を見下ろしながら握手する北朝鮮の金与正氏=9日(聯合=共同)

 韓国で開幕した平昌五輪が、前例のない奇異な五輪として歴史に名を残しそうだ。直前での北朝鮮の“乱入”によって、五輪は一気に政治色が強まった。国際スポーツの祭典は、北朝鮮や“民族”が前面に出る形で思わぬ方向に向かい、本来、注目されるべきはずの競技をよそに、朝鮮半島内部での一方的な政治的な盛り上がりを世界に見せつけている。(ソウル 名村隆寛)

北が話題を独占

 芸術団や応援団の派遣。南北統一チームの結成。朝鮮半島を描いた「統一旗」を掲げての南北合同入場。平昌五輪は北朝鮮や南北の和解をアピールする場と化す中で開幕した。

 これらの北朝鮮カラーが着色されたのは、今年に入ってから。誘致期間を含め、韓国が20年にわたり準備してきた五輪は、わずか約1カ月の短期間にガラリと色が変わった。

 きっかけは北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が1月1日に発表した「新年の辞」。金正恩氏が、平昌五輪について「代表団派遣を含め、必要な措置を取る用意がある」と韓国に対話を促したことが状況を一変させた。

 芸術団、応援団の派遣など、次から次へと北朝鮮が繰り出してくる提案や要求に、韓国側は驚きや喜びに浸る間もなく、応じ続けた。この相手を驚かせ自分のペースに物事を進めるというのは、北朝鮮が韓国への攻勢に使う常套(じょうとう)手段である。

 その極みが、序列ナンバー2の金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長や金正恩氏の妹、金与正(キム・ヨジョン)党中央委員会第1副部長ら代表団の韓国への派遣と五輪開会式への出席だ。

 金永南氏の訪韓でさえ驚くべきことなのに、最高指導者の妹である金与正氏の訪韓は韓国社会の度肝を抜いた。しかも、金与正氏の派遣は、五輪開幕のわずか2日前に北朝鮮側が通告してきた。

 開幕日の9日午後になって空路、韓国入りした金与正氏はメディアの注目を浴び、話題をさらった。華々しい五輪開幕のどさくさにまぎれた、北朝鮮の話題独占は成功した。

なんでもやってあげる

 金正恩氏の妹、金与正氏の動静への注目に、北朝鮮からの訪問団の団長を務めた金永南氏の影さえ薄れた。ただ、金永南氏を韓国に遣わせたこと自体、ビッグニュースである。

 金永南氏は今月上旬に90歳の誕生日を迎えたばかり。超高齢なのだが極めて健康な様子だった。笑顔を絶やさないその印象は一見して、韓国のその辺にいる人のよさそうなおじいさんといった感じだった。

 しかし、序列ナンバー2の側近であるとしても、90歳になった人物までも韓国に派遣するとは。金永南氏は金与正氏の祖父の世代である。「美女応援団」や芸術団も含め、北朝鮮は老若男女を韓国に繰り出してきた。行け行けドンドンのまさに北朝鮮特有の攻勢だ。

 この北朝鮮による一連の“熱心な融和姿勢”に韓国当局はすっかりのまれてしまった。北のためなら、即、変更可能で、「なんでもやってやる」といった感じだ。

 自国の制裁対象であるにもかかわらず、北朝鮮の芸術団を乗せた大型貨客船「万景峰92」の韓国への入港を特例措置として認めた。

 また、訪韓した代表団の崔輝(チェ・フィ)国家体育指導委員長と金与正氏は、それぞれ、国連安全保障理事会と米国による渡航禁止などの制裁対象になっている。韓国は国連と米国に「特例措置」を認めるよう頼み込み、要求を受け入れさせた。対北制裁どころか、制裁対象への配慮。韓国で北朝鮮がわが物顔で振る舞う一方で、韓国当局は北朝鮮のために東奔西走した。

 それだけではない。芸術団団長の視察のために高速鉄道を臨時に増発するなどの大盤振舞い。北朝鮮のための予定外の警備にも相当の労力をつぎ込んだ。北の同胞のためには惜しんではならないのだ。

 北朝鮮の“速度戦”もさることながら、これに対する韓国の即応にも驚かされる。しかも、北朝鮮の五輪参加に韓国政府は南北協力基金からなんと29億ウォン(約3億円)を支出する方針だという。

北からのご褒美

 「特例措置」を連発し続けた韓国に対し、北朝鮮も手ぶらでは来なかった。北朝鮮は10日にソウルの韓国大統領府で行われた首脳級会談で、金与正氏が文在寅(ムン・ジェイン)大統領に金正恩氏からの親書を手渡し、文氏の早期訪朝を要請した。南北首脳会談を平壌でやろうというのだ。

 首脳会談の呼びかけについては、いくつかの韓国メディアが事前に期待を込めた報道をしていた。予想通り、期待通りに北朝鮮は「訪朝招請」という手土産を準備していたわけだ。

 この北朝鮮からの提案に、韓国当局は喜んだ。就任直後から訪朝に積極的な発言をしていた文氏は「今後、(訪朝に向けて)条件をつくっていこう」と訪朝に前向きな姿勢を伝えた。

 相手、韓国を驚かせ感激させる北朝鮮の手法は、金与正氏の父である金正日(キム・ジョンイル)総書記が生前にも見せた。2000年の南北首脳会談の際には、平壌を訪れた韓国の金大中(キム・デジュン)大統領を金正日氏自らが空港で迎え、韓国側を感動させた。北朝鮮に懐柔されたその後の韓国。結局は核やミサイルの開発などを許し北朝鮮に裏切られた。

 ともかく、この相手に喜んでもらい、こちらも喜びに浸るという習慣、喜ばせ合う文化は朝鮮半島特有のものでもある。ただ、北朝鮮としては、五輪への参加などに骨を折ってくれた韓国への“ご褒美”ぐらいにしか考えていないことは想像に難くない。北朝鮮は文在寅政権が流れをくむ金大中、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権に対しても似たようなことを繰り返してきたわけだから。同政権で文氏は大統領秘書室長を務めている。

五輪前日、米国にビビリつつ軍事パレード?

 ただ、文氏は北朝鮮からの訪朝招請に「南北関係の発展には米朝対話が必ず必要だ」とも強調し、やんわりとクギも刺している。訪朝の実現には「南北だけではなく、米朝間などを含め朝鮮半島情勢を安定させねばならない」(大統領府関係者)とし、北朝鮮に努力を促した。

 背景には、北朝鮮に前のめりとなっている韓国への米国からの圧力がうかがえる。五輪の開会式には米国からペンス副大統領が出席した。

 ペンス氏は日本訪問に続き、五輪開幕前日の8日に訪韓した。北朝鮮はちょうどこの日、朝鮮人民軍創建70年の記念日に合わせ、平壌で大規模な軍事パレードを行い、金正恩氏が閲兵。米本土を狙った大陸間弾道ミサイル(ICBM)「火星14」や「火星15」を披露した。将兵約1万3千人を含む約5万人が動員されたとされる。

 ただ、北朝鮮は海外メディアに訪朝を打診しながらも結局は不許可にした。五輪を前に外国からの批判を避けようとする意図や、心中では米国にビビっている様子がうかがえた。

 ペンス氏はこの日の夜、韓国大統領府で文大統領と会談。「米国は北朝鮮が永久に戻れない方法で核・ミサイル計画を放棄するまで、可能な最大の圧迫を続け、韓国と韓国とともに努力する」と両国の結束を強調。「米国の決意は決して揺るがない」と断言した。

 ペンス氏は10日までの韓国滞在中、明言したとおりに振る舞った。

米国、北を徹底的に非難し、無視

 文在寅政権が金与正氏らの訪韓など北朝鮮に気遣う一方で、ペンス氏の北朝鮮に対する態度は徹底していた。

 ペンス氏は9日、五輪の開会式を前に脱北者と面会。この場に、北朝鮮で約1年半拘束された末、昨年の帰国直後に死去した米国人大学生、オットー・ワームビアさん(当時22)の父親も招き、「北朝鮮は自国民を閉じ込め、拷問し飢えさせる政権だ」と北朝鮮の人権侵害を強く非難した。「全世界が今夜(の開会式で)、北朝鮮の微笑攻勢を目にすることになる。真実が伝わるようにするのが重要だ」と北朝鮮を牽制し、融和姿勢への接近を戒めた。

 ペンス氏は開会式前のレセプションでは各国要人らと握手したものの、北朝鮮と同じテーブルの席にも着かず、約5分で会場を後にしたという。もちろん、北朝鮮代表団長の金永南氏とは握手しなかった。

 ペンス氏は開会式でも近くの後方に座った金永南氏と目も合わせず、完全に無視した。韓国が北朝鮮との融和ムードに浮かれるなか、北朝鮮の核・弾道ミサイルの開発を許さない米国の強い意志を示した。分かりやすく、全くぶれない、見事な徹底ぶりだった。

余計なお世話

 レセプションでのペンス氏の態度について韓国メディアは、文氏の演出で金永南氏らと相席になることに拒否感を示したとの見方を伝えた。訪韓中の徹底したペンス氏の言動を振り返れば、間違ってはいないだろう。

 米朝を同席させて、接触させたいという文在寅政権らしい配慮だったのかもしれないが、米国にとっては余計なお世話であったろう。直後の五輪開会式で見せたペンス氏の姿勢がそれを物語っている。

 開会式で南北統一選手団(韓国と北朝鮮)以外に最も目をひいたのは、米国選手団の入場だった。人数の多さはもちろん、米国人特有の底抜けに明るいノリで入場した。もちろん、ペンス氏は立ち上がって、米国を代表する若きアスリートたちに声援を送っていた。こちらも米国人特有のノリだ。

 金与正氏、金永南氏は「憎き米国」の奔放な入場と目の前で選手を鼓舞する米国の副大統領をどのように見たであろうか。ペンス氏が「全世界が今夜、北朝鮮の微笑攻勢を目にすることになる。真実が伝わるようにするのが重要だ」と言っていたように、皮肉にも北朝鮮代表団は、自由に満ちあふれた米国人の奔放な姿を真実として見せつけられた。

 真実が分かったのかどうか。ホスト役の文氏は終始、ご満悦の様子だった。心配された気象状況は幸運にもよく、この日の夜だけ開会式場は数日前までの寒さが嘘のように和らいだという。韓国らしく派手な開会式も無事に終え、文大統領は翌日、南北首脳級会談に臨んだ。

「平壌オリンピックは嫌です」

 北朝鮮のわがままを聞き入れ、「民族和解」を前面に出したワンマンショーまがいのことを許していることについて韓国では反発も少なくない。反北朝鮮デモは例によって各地で起きており、親北団体の集会と一触即発という出来事は日常茶飯事。とにかく、五輪が開幕しても韓国は騒がしい。

 テレビをつければ、北朝鮮の芸術団の韓国での公演が映し出される。「なんか、子供のころにタイムスリップしたみたいだね」。40代前半の韓国人女性は五輪か北朝鮮かどちらの宣伝か分からない映像に触れ、日々、苦笑しているという。

 事実、北朝鮮の芸術団は、歌手の歌唱力はあるのだろうが、いかにも北朝鮮らしく、古くささは否めない。温かい目で見る人々もいようが、特に韓国の40代以下の世代からは「時代遅れだ」といった感想を聞くことが多い。

 それよりも、3度目の挑戦でようやく誘致を勝ち取った平昌五輪が、事実上、北朝鮮に乗っ取られたことへの不満は、市民の間でくすぶり、渦巻き続けている。しかも、韓国が2度の誘致失敗を経て、20年にわたり苦労し、ようやく開催した五輪が、たった1カ月余りで北朝鮮に簡単に奪われたも同然だ。

 開幕までの1カ月の間、韓国では北朝鮮に席巻されそうな平昌五輪を「平壌オリンピック」と揶揄(やゆ)する声も続出した。ネット動画では「平壌オリンピックになっちゃいました~。平壌オリンピックは嫌です」などと連呼するラップが人気を集め、ここでは書くことが到底できない下品な言葉を駆使し、金正恩氏や文大統領をこき下ろしている。

 せっかく実現した自国での五輪へのしらけたムードのなか、北朝鮮のやりたい放題と、それを許している文在寅政権に対する韓国国民のストレスは鬱積している。同情もしたくなるが、韓国国民が選んだ大統領がトップに立つ韓国政府が決めたことだから、仕方がない。

北を知る、南北を知る機会

 五輪が開幕し、五輪とは全く関係がない北朝鮮の芸術団の公演も終わり、金与正氏ら代表団も北朝鮮に戻った。競技が始まった平昌五輪は、一視聴者として落ち着いてテレビ観戦ができるようになった。ようやく五輪らしくなった。これがまさに五輪シーズンの雰囲気。正気に戻った気がする。

 五輪前日から北朝鮮代表団が帰還するまで4日間の北朝鮮による「南北ショー」。仕事柄、忙しかったが、それ以上に北朝鮮による韓国への接近や懐柔など、北朝鮮の本性を知る上で、いい機会だった。同じく、北朝鮮に対する文在寅政権の対応も興味深く見させてもらった。

 北朝鮮に好き放題にされた韓国にとっても、金正恩政権の北朝鮮を見極める貴重な経験になったことだろう。

 南北の当局同士が進める南北和解の各種のイベントの現場での盛り上がりや、首脳級会談での目を合わせた瞬間の微笑は、「その気になればいつでも統一できるんじゃないの」と見る者に思わせてしまう。しかし、そうはいかないのが朝鮮半島である。

 平昌五輪はようやく始まったばかり。その後にはパラリンピックも続く。その間、北朝鮮からまた何らかの接近があることも十分に予測できる。朝鮮半島では明日も何が起こるか分からない。