五輪に備え日本のTV会社に中継車せがんだ北の工作員 文在寅氏に読ませたいテロの真相

野口裕之の軍事情勢
9日、板門店で開かれた南北閣僚級会談で共同報道文を交換する韓国の趙明均統一相(左)と北朝鮮の祖国平和統一委員会の李善権委員長(AP)

 平昌五輪の開催が2月9日に迫っているが、ソウル五輪(1988年)前にネタ元だった公安筋に告げられた、北朝鮮工作員が日本国内で繰り広げていた衝撃的暗躍の事実を、ふと思い出した。

 2年間の地方支局勤務を終え、社会部の駆け出し記者だった筆者に公安筋は唐突に切り出した。

 「北の工作員Aら数人のグループが密かにB社と接触し、中古のテレビ中継車を買いたがっている」

 「A」は実名で聞いた。「B社」は日本ではそれと知られた大手のテレビ放映会社であった。対象となっていた中継車の写真まで、いつの間にか隠し撮りしていた。

 確か、《1987年11月の『大韓航空機爆破テロ』が起きる大分以前の話であったと記憶する》。理由は後述する。 

 追跡中の重大スパイ事件を公安筋が漏らしたのは、公安筋とは記者になる遙か以前からの付き合いで、思想的にも、国家観でも意気投合していた側面が大きかった。

 公安筋は大きなスクープとして紙面化することも、時機など条件付きで黙認を約束してくれた。

 一般的に、スパイ事件の場合、「A」には取材活動を絶対知られてはいけない。「B社」にも、できる限り知られぬよう隠密取材を進めるのが鉄則だ。

 だが、公安筋と話し合い、「B社」を殺人事件同様に取材し事実に迫る、異例の手法を選んだ。スクープは狙うものの、取材が「B社」に知られても、警告となり、「B社」に“商談”を打ち切らせる効果を期待してもいた。

 格好をつけるなら、日本の法律では立件し、「A」らを逮捕できない公安筋の無念に応えたかったのだ。公安筋には、そのくらいの恩義があった。

 かくして、「B社」は北朝鮮工作員との“商談”を打ち切った。北朝鮮工作員も筆者の取材に気付き、いずこへか消えた。

朝鮮中央テレビの中継車はメルセデス系

 取材の過程で3つの点に驚いた。

 一つは、北朝鮮は軍事大国にもかかわらず、ソウル~北朝鮮側にテレビの映像波を精巧かつ正確に流す技術も機器も保有していなかった点。暗号化して送信する軍事無線は開発・配備できても、映像波を遠方まで飛ばす技術は確立されていなかったのだ。

 現在でも、朝鮮中央テレビはドイツの自動車大手ダイムラー社のブランド=メルセデス・ベンツ系などの中継車を使う。搭載されている機器は不明だが、ドイツ製である可能性は高く、一部技術的限界をいまだに抱えている現状を示唆する。中継車や中継機器を精査すれば、国連制裁決議の禁輸製品に該当する恐れもある。

 二つ目は、こちらも理由は後述するが、北朝鮮は当初、ソウル五輪参加を真剣に考えていた点。 

 三つ目は、法律面は別としても、「B社」に警戒感がまるでなかった点だ。中継車が軍事転用できるなど、考えてもいなかった脇の甘さにゾッとした。

 さて、先述した《1987年11月の『大韓航空機爆破テロ』が起きる大分以前の話》であった理由に触れる。

 大韓航空機爆破テロはイラクのバグダード国際空港発→韓国・金浦国際空港着の大韓航空機内で、金賢姫・元死刑囚(後に特赦)ら2人の北朝鮮工作員が置いた時限装置付きプラスチック爆弾を仕込んだ日本製携帯ラジオ+液体爆弾入りの酒瓶が作動し、一大悲劇をもたらした、とも言われる。断定できぬのは、爆破=空中分解で乗員・乗客115人全員が死亡し、真相不明の部分がかなりあるためだ。

 2人の工作員は爆発前に、経由地のアラブ首長国連邦・アブダビ国際空港で降機した。が、移動先のバーレーン国際空港で足止めされ、犯人の男は服毒自殺した。金賢姫・元死刑囚は自殺に失敗している。

 事件の背景には、ソウル五輪開催阻止に向け、あるいは開催阻止が無理でも「危険な韓国」を世界に印象付け、参加国を急減させる狙いがあった。ソウル五輪参加へのエントリー期限が迫っており、大韓航空機撃墜は開催阻止に向けたギリギリの時期だった。

 従って、「B社」との中継車売却交渉は、ソウル五輪参加への明確な意志をまだ持っていた事情を裏付ける。取材過程で驚いた二つ目の理由が、これ。冒頭、《1987年11月の『大韓航空機爆破テロ』が起きる大分以前の話であったと記憶する》と述べたのも、北朝鮮が残していたソウル五輪への参加意志を元に、記憶をたどったが故だ。

 日韓情報機関筋によると、北朝鮮は当初共催を要求。対する韓国側は、共催競技種目を3種目以内とすることを条件として提示した。しかし、北朝鮮はあくまで全選手の3分の1に相当する競技数を求め折り合わず、共催は幻となった。

ソ連まで激怒させた金正日氏

 北朝鮮に残された次善の策は、東欧諸国、とりわけ共産圏の盟主・ソ連のソウル五輪参加阻止だった。

 1986年10月24日には、金日成・初代国家主席(1912~94年)が専用機でモスクワを訪問する。めったに飛行機に乗らない最高指導者の空路訪問は「緊急事案に違いない」と関係各国の臆測を呼んだ。ソ連国営のタス通信は《両首脳は米韓日の三角同盟に反対した》と報じた。

 けれども、後にソ連共産党中央委員会のミハイル・ゴルバチョフ書記長が韓国メディアに語ったところでは、こんなやり取りもあった。

 金日成「ソウル五輪に参加しないでください。朝鮮半島の分断を固定化させようとする『国際帝国主義』の陰謀であります」

 ゴルバチョフ「その言葉自体、古過ぎます。われわれは、古めかしい教条主義の殻を破り、ペレストロイカ(政治体制の改革運動)を始めているのです。貴殿が考えを改めるべきではないか」

 金日成・国家主席は引き下がらなかった。

 「ソウルと平壌が50対50の割合で主催するのはいかがでしょう。最低限、サッカーは平壌で開催できるよう協力してほしい」

 ゴルバチョフ書記長の反応といえば、「五輪開催は、50対50のような算数の問題ではありません」と冷淡だった。

 そこで既述した通り、ソウル五輪の参加国急減を狙い、韓国が治安の不安を抱える国だとのマイナス・イメージを国際社会に流すべく、大韓航空機爆破テロを起こす。

 事件の総指揮は、金日成・国家主席が既に後継者指名していた長男で朝鮮労働党中央委員会の金正日・書記(後の総書記/1941~2011年)が執った。金正日・書記の命を受け、朝鮮労働党対外情報調査部が作戦を練った。

 ところが、金賢姫・元死刑囚ら工作員2人が事件前、北朝鮮旅券で共産主義国ハンガリーに入国し、ハンガリーからは偽造の日本旅券で出国したことで、テロ後は思わぬ展開となる。一連の北朝鮮の謀略をハンガリーが盟主・ソ連に通報。東側陣営の大半が「いくら何でもやり過ぎのテロ国家」との認識を持つに至ったのだ。実際、ソウル五輪参加の有無を明らかにしていなかったソ連や中国も参加表明し、他の東側諸国も雪崩を打って参加を決めた。

 さらにソウル五輪後、ソ連は1990年、中国は1992年に、それぞれ北朝鮮の猛烈な抗議を無視して、韓国と国交を樹立した。

 大韓航空機爆破テロは、北朝鮮の狙いとは正反対にソウル五輪参加国を増やし、世界中の非難や不信感を誘発。北朝鮮は国際的孤立を深め、100万人単位の餓死者を出す《苦難の行軍》を強いられる。

 もっとも、皮肉にも、この孤立が北朝鮮の核・ミサイル開発を加速させた起爆剤の一つにもなった。

 そのソウル五輪より30年後の今、韓国国内では平昌五輪が迫ってなお、盛り上がりを著しく欠く。北朝鮮の参加をなりふり構わず求め続けた韓国の文在寅・大統領ら政府関係者とサヨク団体の異様なはしゃぎようとは対照的だ。

 盛り上がり放しの文大統領らサヨク陣営は、わずか30年前に起きた《大韓航空機爆破テロ》の記憶を封印し、大韓航空機爆破テロという北朝鮮の国家犯罪を結果的に容認したのである。

 爆破テロで亡くなった乗員・乗客115人は泉下で、開催されるのは平昌五輪ならぬ、語呂が似る「平壌五輪」ではないかと、余りの北朝鮮ペースの成り行きに涙しているに違いあるまい。

 悲しみ、そして憤怒すべきことに、大韓航空爆破テロを封印したのは文大統領だけではない。

 爆破テロの主犯たる金正日・総書記の三男=金正恩・朝鮮労働党委員長もテロなどなかったかのように、平昌五輪参加をエサに米韓合同軍事演習「中止」をぶら下げた。ドナルド・トランプ米政権も五輪・パラリンピック中の演習「延期」には応じた。

 ただし、もちろん、金正恩政権の「延命」は保証の限りではない。