老後の性 性的貧困の「無艶社会」とどう向き合う 坂爪真吾

iRONNA発
増加する高齢者は性的貧困の「無艶社会」とどう向き合うべきなのか(写真はイメージ)

 ひと昔前、「死ぬまでセックス」特集が週刊誌で大々的に組まれたが、最近はお堅いNHKでも老後のセックスを取り上げるご時世である。近い将来、「100歳まで生きるのが当たり前の時代になる」と言われる超高齢社会。その性事情について考えたい。(iRONNA)

 高齢期には4つの「ムエン」があるといわれている。1つ目は、人間関係の貧困を意味する「無縁」。2つ目は、社会的孤立を意味する「無援」。3つ目は、経済的貧困を意味する「無円」。そして4つ目は、性的貧困を意味する「無艶」だ。

 現役時代にどれだけ性的に満ち足りた暮らしを送っていた人でも、超高齢社会においては遅かれ早かれ、この「無艶」に直面するときが必ずやって来る。国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、2024年には人口の30%が65歳以上の高齢者になるとされている。全ての人が高齢期の「無艶」に直面せざるをえない時代の中で、私たちは「生殖なき後の性」をいかに生きればいいのだろうか。

枯れた存在

 高齢世代の女性に関しては、「もうセックスは卒業して、性とは無縁の穏やかで円満な夫婦関係を送っている」というイメージ、そして単身の女性高齢者に関しては「性とは無縁の枯れた存在」というイメージがある。

 しかし、それらはいずれも幻想にすぎない。『セックスレス時代の中高年「性」白書』(日本性科学会セクシュアリティ研究会編)のデータを見ると、パートナーとの性欲ギャップに悩んでいる生々しい中高年女性の姿、いくつになってもセックスへの未練や執着を断ち切れずにモヤモヤしている単身女性の姿が浮かび上がってくる。

 「この1年間に性交をしたいと思ったことはどれくらいあるか」という質問に対する回答は、「願望があった」「たまにあった」を合わせると、配偶者のいる60代女性は42%、70代女性は33%に達する。単身者の場合も、60~70代女性の32%が性交への願望を抱いている。

 高齢期の性を充実させるために必要なのは「性に関する自分なりのパートナーや居場所を作ること」だといえる。どのような場所で出会った相手であっても、どのような形の存在であっても、死生観ならぬ「私性観」=性に対する自分なりの価値観と行動原理に基づいて探し当てたパートナーや居場所であれば、自分を納得させることができるはずだ。

 たとえ他人や世間からみて眉をひそめられるような状態、滑稽な状態に見えたとしても、誰を(何を)パートナーや居場所として選ぶかを決めるのは、あくまで自分自身。「私の性は、私が決める」という性の自己決定原則は、生涯を通して不変なのだから。

「蜘蛛の糸」

 高齢者の性を「あってはならないもの」として否定的に捉えるのではなく、人間らしく生きる上で「あって当たり前のもの」として肯定的に捉え、最低限度の性の健康と権利がきちんと守られるような仕組みを作っていくこと。これから「超」超高齢社会を迎えるにあたって、私たちの社会に求められていることは、この一点に尽きる。

 性は生殖の手段であるだけでなく、他者とのコミュニケーションの手段でもある。加齢によって社会との関わりを失い、離別や死別によって家族との関わりを失い、認知症や病気によって自分自身との関わりをも失ってしまった人たちにとって、性は外界と自分を結ぶ唯一の手段として最後に残された「蜘蛛(くも)の糸」である。

 孤独の中で漂流し、暴発しがちな高齢者の性を「受け入れる」とまではいかなくとも、不必要に問題化せずに、当たり前のこととして「受け止める」仕組み、そして当事者にとっても支援者にとってもストレスの少ない形で、良い意味で「受け流す」仕組みが社会的に整備されていれば、私たちはいくつになっても安心して性的な存在であり続けることができるはずだ。

 来るべき「超」超高齢社会で私たちが目指すべき社会の姿は、こうした「誰もが安心して晩節を汚せる社会」だと私は考える。

 【プロフィル】坂爪真吾(さかつめ・しんご)氏 一般社団法人ホワイトハンズ代表理事。昭和56年、新潟市生まれ。東大文学部卒。重度身体障害者に対する射精介助サービス、風俗店の待機部屋での無料生活・法律相談「風テラス」の開催など、社会的な切り口で現代の性問題の解決に取り組む。著書に『セックスと超高齢社会』(NHK出版新書)など多数。

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