物流危機…社長も給料半分 バブル崩壊で一変、コスト増重く

平成30年史 デフレの呪縛(2)

  「3カ月後に50万円」

 昭和54年、物流大手SBSホールディングス社長の鎌田正彦は、佐川急便の求人広告にひかれて運送業界に飛び込んだ。当時19歳。高卒の初任給が10万円弱だった時代。鎌田自身、高校時代の喫茶店アルバイトは時給300円だった。

 トラック運転手の初任給約35万円が入った茶封筒の厚みは今も忘れられない。自宅に帰って一万円札を1枚ずつ床に並べると、畳半分くらいに達した。3カ月後には53万円まで昇給。8年後の62年には1千万円を超える貯金を元手に、仲間と小口貨物の当日配送を手がける関東即配(現・SBSホールディングス)を設立した。

 SBSは荷主企業の物流システムを請け負う3PL(サード・パーティー・ロジスティクス)を中心に事業を拡大、今や年商約1500億円を誇る。

 「あのときの物流はもうかった。日本の産業を支えていた」。鎌田は振り返る。

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 だが平成3年のバブル崩壊後は物流業界を取り巻く環境は一変する。国内景気の低迷や国際競争の激化を背景に、荷主の製造業や流通企業は「国際競争力の強化」という大義名分の下、物流コストの削減を強く求めるようになった。

 日銀の「企業向けサービス価格指数」によると、22年を100とする過去約30年の道路貨物輸送の運賃指数は、4年の106をピークに低下し、17年の99・5まで落ち込んだ。デフレが続く中、トラック運転手の月給も一貫して下がり続けてきた。

 大きくあおりを受けたのは中堅・中小の運送事業者だった。「約15人いた従業員の給与を守るため、娘が進学する時期に、自身の給料を半分以上減らさなくてはならなくなった」。保有トラック数が10台弱の都内運送業者の社長は、厳しい時代を語る。

 荷主の要求に加え、石油価格の高騰や環境規制の対応コスト増も重くのしかかった。この運送会社は営業利益が大幅に低下。社長は家族に頭を下げた。

 「会社を残さないと家族の生活が維持できない。すまない」

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 SBSの鎌田も起業当初はトラック運送業を事業の柱に据えていたが、平成に入ってからの10年間で運賃が3割も低下する中、「このままでは生き残れない」として、3PL事業に活路を求めた。15年の上場以降、雪印乳業(現・雪印メグミルク)や東京急行電鉄グループの物流子会社などを次々傘下に収めた。

 だが、約9割を占める中小零細事業者は新たな投資に踏み出す余力が少ない。神奈川大学教授の斉藤実は「当時は、産業にとって欠かせないはずの物流にコストをかけるという旧来の構造が壊れた」とデフレ経済に連動して“物流デフレ”が起きたとみる。

 これと同じ時期、「物流2法」が競争自由化のうねりの中で産み落とされた。2法は業界特有の産業構造との相克関係を背景に、今も抜け出せない物流デフレの流れを決定づけていった。

「物流2法」の罠が消耗戦招く

 国民がまだバブル経済の熱に浮かされていた平成2年、後の物流危機の底流ともなる2つの法律が施行された。1つは荷主からの依頼で荷物を運ぶ事業の内容や運送上の安全対策を規定した貨物自動車運送事業法。もう1つは運送事業者に代わって荷主と契約し運賃を受け取る仲介行為を定めた貨物運送取扱事業法で「物流2法」と呼ばれる。

 なぜこの時期、2法が作られることになったのか。旧免許制は新規参入や増車が事実上、不可能で、物流ニーズの多様化に追いつかなかったからだ。輸送に保管や流通加工などを組み合わせた高度なサービスが登場。事業免許のない「白トラ」や過積載などの脱法行為も横行した。

 折しも時代は、昭和60年以降の臨時行政改革推進審議会(行革審)からの「行革ブーム」に加え、財界でも日米貿易摩擦を背景に、製造業や流通企業の価格競争力を高めようとの機運が高まっていた。政府は新法により物流業界への新規参入を促し、業界の新陳代謝を図ろうとした。

 「フェアに競争できる健全な市場を整えれば、自由な経営判断で無駄を省きサービスを工夫できる企業が出てくる。当時は、そう思っていた」

 運輸省(現・国土交通省)貨物流通局の専門官として2法の骨格づくりに携わった重田雅史(現・国交省物流審議官)は法案に込めた願いを明かす。当時の運送業界の警戒心は根強かったが、政府関係者は「真面目に商機を拡大したい事業者が陰で応援していた」と打ち明ける。

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 だが、青写真は崩れる。免許制から許可制への移行によりトラック保有台数10台以下の零細事業者が急増。物流ジャーナリストの森田富士夫は「大企業と直接契約できる大手と大手の下請けで仕事を取るしかない零細業者との二極化が進み、大手は荷主企業の値下げ分を下請けに転嫁するようになった」と解説する。

 通常ならば、ここで下請けが低運賃に耐えきれず、市場から退場することで需給調整が図られ運賃低下に歯止めがかかるが、「零細事業者は過積載や長時間労働などで運賃低下をカバーし、市場からの退場は新規参入の半分程度にとどまった」(都内運送事業者)。

 森田は「製造業ならば、作り方が悪ければ、『不良品』という結果が消費者の選別にさらされるが、物流業者は運び方が粗悪でも、壊れずに届きさえすれば問題がない。それで悪質業者が低運賃を支える構造ができあがったのではないか」と新陳代謝が進まなかった背景を語る。

 新規参入で促されると期待したサービスの向上や多様化についても、運賃の低さだけが重視される消耗戦の中で、新たなアイデアを実行に移すだけの余力がそがれていった。神奈川大学教授の斉藤実は「過当競争で地盤沈下した産業のイノベーションは難しかった」と分析する。

 「もうからない利幅の薄い業界にはたくさんの事業者が入るはずがないとみていたが違った」。物流の規制緩和政策を研究する流通経済大学学長の野尻俊明は政府の見通しの甘さを語る。

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 2法施行から27年。物流デフレにくさびを打ち込む動きが始まっている。

 牽引(けんいん)役は宅配業界。最大手のヤマト運輸をはじめ、佐川急便、日本郵便の大手3社がそろって値上げを発表した。インターネット通信販売の普及で、宅配便の荷物量は年間40億個まで急増した一方で、ドライバーの人手不足が深刻化。ヤマト常務の阿波誠一は「人材確保やIT活用に向けた収益構造の改善が不可欠となった」と説明する。

 異例ともいえる物流サイドからの値上げ要請だが、宅配業界は3社のほぼ寡占市場ともあって「荷主の半数以上は了承している」(ヤマトHD専務の芝崎健一)。政府の働き方改革も追い風に、ドライバーの労働環境改善に向けた物流コストの必要性が社会的にも認知されつつあり、業界関係者は「中小の運送業者でも最近は4社に1社くらいが荷主に値上げを求めるようになった」という。

 10月中旬の午後、横浜市内のヤマト営業支店では、ドライバーら8人がテーブルを囲んでいた。春先までは忙殺されていた時間だ。男性ドライバーは「以前は昼食をとれない日もあったけど、変わった」とおにぎりをほおばる。女性スタッフが言葉をつないだ。「営業所に荷物を受け取りに来る人も増えてきた。不在でごめんねって」

 重田はこう力を込める。「売る人、買う人、運ぶ人が対等なパートナーと考える社会になれば物流は健全に回る」(敬称略)