食卓からモヤシが消える 過度な安売り 生産者・物流業者圧迫

平成30年史 デフレの呪縛(1)

 埼玉県草加市の食品スーパーで今秋、店頭に並べられたモヤシの価格を見て、旭物産(水戸市)社長の林正二は愕然とした。「赤字覚悟のこんな値段で売るなんて…」

 同社はモヤシを生産し、スーパーなどに納入している。林を驚かせたモヤシ価格は1袋(200グラム)19円。仕入れ価格は20円台半ばとみられ、1袋あたり5円程度の赤字販売だ。

 モヤシは単価が低く、売る側は「たとえ1袋5円の赤字で100袋売っても、赤字額の合計は500円にすぎない」(都内の大手スーパー)と考える。このため、スーパーなどでモヤシは客を呼び込む“安売りの目玉”にされやすい。モヤシで赤字になっても「他でもうければいい」という発想だ。

 総務省の家計調査によれば、平成28年の全国のモヤシ平均価格は、100グラム当たり15・61円だった。直近の高値である4年(20・39円)と比べ、2割以上も下落している。

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 「もやし生産者の窮状について」-。

 モヤシ生産者で構成する、工業組合もやし生産者協会は3月9日、こんなタイトルの声明文をスーパーなどの取引先に送付した。その中で「これ以上の経費削減への努力は限界を超え、健全な経営ができない状況です」などと訴え、異例ともいえる店頭価格の引き上げを求めたのだ。

 モヤシは店頭で安売りされる分、生産者の卸価格にも常に下落圧力が加わっている。その結果、生産者は疲弊した。

 もやし生産者協会によると、全国のモヤシ生産者は21年度には232だったが、29年度には127とほぼ半減した。原料費や人件費が高騰する一方で、販売価格が下落。赤字に耐えられず、廃業が相次いだ。

 生産者が窮状を訴えても、モヤシの投げ売りがなくなる気配はない。

 公正取引委員会は9月21日、愛知県犬山市のスーパー2店がモヤシなどの野菜を「1円」で販売したのは、独禁法違反(不当廉売)に当たる疑いがあるとして、2店を運営するカネスエ商事(同県日進市)とワイストア(同県津島市)に、再発を防止するよう警告した。

 1日に約20万袋を生産する旭物産も、モヤシ事業の赤字が続く。「このままでは生産者がいなくなり、日本の食卓からモヤシが消えてしまう」。林は今、真剣に憂えている。

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 8月25日、千葉市美浜区のイオンスタイル幕張新都心。この日からイオングループはプライベートブランド(PB)の食品や日用品など計114品目を値下げしたため、開店から多くの客が訪れた。20%値下げされたモヤシを手に取った60代の主婦は、「値下げはうれしい。生産者の経営が苦しいとは知らなかった」と話した。

 消費者の節約志向は根強い。それに応えるため、イオンだけでなく、流通各社は競うように値下げに踏み切っている。西友も食品や日用品などを11月17日に値下げした。値下げは8月から毎月実施し、割安感を打ち出すのに必死だ。

 イオンは店舗拡大など規模のメリットを生かした調達コストの削減や、物流の効率化などを、値下げの原資に充てたという。商品を供給する生産者にとっても販売増で利益が上がるとして、「無理強いはしていない」(幹部)と説明する。

 それでも、過度な安売りが続けば、生産者や物流業者の経営を圧迫するのは確実だ。廃業やリストラに追い込まれれば、景気悪化を通じて、消費者や小売りにも悪影響が及びかねない。

低価格競争 人件費しわ寄せ

 「頼んだ飲み物と違うよ」「注文を取りに来るのが遅いじゃないか」

 8年前まで東京都豊島区の居酒屋で店長を務めていたという40歳の男性は、あるときを境にお客からのクレームが急増し、気苦労が絶えなかった。

 料理や酒類を一律280円などで提供する「均一居酒屋」が広がり、低価格競争が激しくなった。特に平成17年に業界大手の居酒屋チェーン「鳥貴族」が都内に進出すると、その動きが顕著になったという。

 男性の店でも価格だけの勝負になり、どこかでコストを削るしかない。だが、賃料は下げられず、食材費の削減にも限界がある。

 男性は人件費に手を付けた。当時のアルバイトの平均時給は900円台半ばだったが、800円台半ばまで下げた。さらに厨房に5人、ホールに5人いた従業員を、それぞれ3人に減らした。病気で従業員が休んだときには、店長の男性が厨房とホールを掛け持ちすることもあったという。

 しかし、少ない人数では仕事が回らない。閉店後の後片付けなどでサービス残業は当たり前となり、注文時などに間違いも多くなる。当然、お客からの文句も増えることになった。

 それでも、従業員の数を元に戻さなかった。今は居酒屋チェーンの本社で勤務しているという男性は「値上げは絶対にできない。時給を上げたり従業員を増やしたりなんて発想はなかった」と言い切る。

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 男性が店長を務めていた居酒屋や牛丼店などが低価格を競う“外食デフレ”の結果、アルバイトやパートの時給は長らく抑えられてきた。人材サービスのリクルートジョブズ(東京都中央区)によれば、平成23年1月まで三大都市圏(首都圏・東海・関西)のアルバイト・パートの平均時給は17カ月連続でマイナスを記録した。

 足元では、人手不足を背景にアルバイト時給は上昇に転じている。しかし、デフレ志向が根強い中で、企業側はなるべくコストを抑えようと、今も非正規雇用の増加傾向は続く。

 「家庭を持つなんて想像もできない」。千葉県船橋市に母親と同居する男性フリーター(41)は、あきらめ顔でこう話す。

 高校卒業後は就職難もあり正社員になれず、コンビニエンスストアの夜勤のアルバイトなどを転々として生活費を稼いできたという。だが、ボーナスはなく正社員との所得格差は大きい。「(母親との同居もあって)今は生活はできているが、将来への不安はつきない」とため息を漏らす。

 総務省によれば、今年7~9月期平均の非正規従業員数は2050万人と、前年同期比で17万人の増加。プラスは21四半期連続だ。

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 過度な価格競争を続けていれば、どこかに“ゆがみ”が生じる。

 ゼンショーホールディングス傘下の牛丼チェーン「すき家」では、26年に「ワンオペ」と呼ばれる深夜に1人で勤務する過酷な労働環境が社会問題化した。コストを下げるための苦肉の策だったが、批判が相次ぎ、同社は深夜は2人以上の勤務体制に改めた。

 だが、人手が確保できず、一時は、全体の6割に当たる1254店舗で深夜営業を停止した。全店舗で24時間営業の復活を目指すが、いまだに120店舗で再開できていない。

 11月29日には牛丼大盛りなど一部メニューを値上げし、人件費や食材費高騰への対応を急ぐ。それでも「一番多く注文のある牛丼並盛りは価格を据え置く」(広報担当者)としており、経済の先行きを悲観し消費を抑制するデフレ心理を払拭するのは難しい。

 流通業界に詳しい日本経済大学の西村尚純教授は「消費者にとって安いにこしたことはない。しかし、コスト上昇分を価格転嫁できなければ、賃金やサービスの低下などを通じて消費者にもはね返ってくる可能性がある」と指摘している。(敬称略)

 平成の日本経済は物価が持続的に下落するデフレにからめ捕られた。世界でも例をみない長期にわたるデフレとの苦闘は何をもたらしたのか。