金与正氏は正恩氏のアクセルかブレーキか 北の“兄妹政権”が始まった

久保田るり子の朝鮮半島ウオッチ

 米国の軍事オプションも視野に朝鮮半島にかつてない緊張が張り詰めるなか、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長は7日の党中央委全体会議で実妹の金与正(ヨジョン)氏(30)を党政治局員候補に引き上げて権力中枢に据えた。金正日(ジョンイル)も実妹の金敬姫(キョンヒ)を頼り42歳で党軽工業部長として生涯、一族の金庫番を任せた。金与正氏は父、金正日が「与正が男だったら…」と惜しんだという大胆不敵な性格とされるが、いよいよ始動の兄妹政権で実妹は暴走政権のアクセルになるのか、それともブレーキなのか?

(※10月14日にアップした記事を再掲載しています)

叔父の粛清後、表舞台に登場

 党中央委員会政治局は意思決定機関で委員は候補を含め35人だが、高齢者も多いため実際に発言権を持つのは10人前後とされる。若干30歳で、最高権力者の実妹とはいえ女性の政治局入りだ。表舞台に本格デビューした与正氏は、政治局委員、常務委員への道を歩み始めたわけで、今後の“兄妹政権”へのお墨付きともいえそうだ。

 与正氏は父、金正日の晩年、正恩氏の姿とともに集合写真などで確認され、金正日死去の葬儀の席には身内として現れた。正恩氏の公開活動に同行するようになったのは、世界中に衝撃を与えた叔父、張成沢(チャン・ソンテク)氏の処刑(2013年12月)後からだ。

 正恩氏のネガティブ・イメージを補うように映画スタジオや孤児院、部隊視察や軍需工場などの現地指導で兄に随行した。

 公職については2014年3月の最高人民会議代議員選挙のとき初めて北朝鮮メディアに「党中央委の幹部」と名前が紹介され、その後、党宣伝扇動部副部長に就任していることが確認された。人民への政治教育が最優先の北朝鮮にあって党宣伝扇動部は中枢の重要部署で、最高指導者の偶像化と政治宣伝(プロパガンダ)を主任務とする。兄妹の父、金正日も、権力掌握過程で1973年から長期間にわたって宣伝扇動部書記を担当し、政敵を駆逐する粛清を行ったことで知られる。

 与正氏は党宣伝扇動部だけでなく軍政党の幹部人事、監視、粛清、人民掌握などをつかさどる党組織指導部に「関与している」との複数情報があることから、2年前から北朝鮮専門家の間では「与正氏は事実上のナンバー2か」と観測されていた。

 韓国紙「朝鮮日報」は与正氏が「金正恩氏に叱責された重鎮幹部と会い、不満解消をするなど幹部の人心掌握に努めている」との情報を伝え、黄炳瑞(ファン・ビョンソ)軍総政治局長らが与正氏に敬礼していることなども確認されていた。

「息子だったら権力を譲りたいほど聡明な娘」

 父、金正日は与正氏を「息子だったら…」と言ったとされるが、政治好きと大胆な性格は正恩氏、与正氏に共通していたらしい。3歳違いの2人は1996年~2000年、ほぼ同時期にスイスに留学、兄は「パククン」、妹は「チョンスン」の偽名で大使館職員の子弟として一緒に過ごした。

 兄は12歳~16歳、妹は9歳~13歳の多感な時期だった。英、独、仏、ロシア語などを学んだとされるが実力のほどは不明だ。ただ2人とも実母が在日出身の高英姫(コ・ヨンヒ)。とくに与正氏は日本語が「通訳がいらないほど達者」との情報もある。

 帰国から15年、2015年10月10日の党創建70年の史上最高の2万人軍事パレードでは、ひな壇中央の正恩氏の数歩後ろに与正氏がおり、3代目政権の中核となった。最近では今年7月の大陸間弾道ミサイル「火星14号」発射後の祝賀パーティーでも一緒にいる兄妹の姿が確認されている。

 与正氏は数年前に結婚し2年前に出産した。夫は大学教授で、いわゆる革命家の2世ではないという。韓国の北朝鮮専門家の分析では、叔母(金正日の実妹)、金敬姫の夫、張成沢が権力を握ったことから、正恩氏が、有力者や政治に近い人間が妹の夫になるのを嫌ったと分析される。

 与正氏の政治力はどの程度なのか。米韓軍事演習で緊張した今年4月、北朝鮮はミサイル発射に4月25日(軍創設記念日)に第6回核実験を強行する動きがあった。北朝鮮に詳しい関係者によると、この動きを察知した中国は激怒し、「核実験をするなら中朝国境を封鎖」するなどと強く牽制したが、「このとき実験延期を進言したのは金与正だった」との情報がある。

 しかしその後、北朝鮮は今夏の新型ICBM(大陸間弾道ミサイル)「火星14」と新型中距離弾道ミサイル「火星12」試射を成功させ、9月初旬には水爆級の核実験を実行した。見方によっては、4月に核実験を強行した場合より、ミサイル能力を高めた9月の実験の方が威嚇効果は高かったことにもなる。

 与正氏が政策に関与しているとしても、その役割がアクセルなのかブレーキなのか。少なくとも、疑心暗鬼で酒に溺れるとされる兄の唯一の支えなのは間違いない。(編集委員)