希望の党が失速したとされる原因は… 果たして二大政党制の一翼を担う存在になれるのか

野党ウオッチ
会談を終え、握手する希望の党代表・小池百合子都知事と民進党の前原誠司代表=10月5日、東京都新宿区(飯田英男撮影)

 「もう政権交代になっちゃうから安倍晋三首相は土壇場で衆院解散をやめるんじゃないの?」―。民進党議員が狂喜していたのは、わずか3週間前だ。産経新聞社が実施した衆院選の終盤情勢調査で、235人を擁立した希望の党は政権交代どころか大きく失速している実態がみえてきた。将来、政権交代可能な二大政党制の一翼を担えるのか。それとも、このまま自滅してしまうのか-。

 希望の党の小池百合子代表(東京都知事)が民進党との合流構想を進めるにあたり、こだわったのは安全保障政策をめぐる意思統一だったという。小池氏の脳裏には、平成6年4月に発足した「非自民」連立政権の羽田孜内閣が安保政策の違いから社会党が離反し、わずか64日間で崩壊した記憶が浮かんでいた。

 一方、民進党の前原誠司代表も同じ考えを抱いていた。自民党も民進党も党内に一定の左派勢力がいるが、とりわけ民進党は党内左派が共産党との選挙協力に前のめりだった。

 共産党は党綱領に「日米安全保障条約の廃棄」「自衛隊の発展的解消」(憲法9条の完全実施)などを掲げる。前原氏は10月4日、産経新聞の単独インタビューで「北朝鮮が核実験や弾道ミサイル発射を繰り返す中、日本を守れるのはもちろん自衛隊であり、やっぱり日米安全保障条約じゃないですか。日米安保を否定している政党と選挙協力して、本当にこの国を守れますか」と語っていた。

 実はこのインタビューに私も同席していたが、前原氏の言いぶりからは「このまま共産党との共闘路線を強めても、政権には戻れない」との強い危機感がにじみ出ていた。インタビューの合間には「共産党との共闘は『是非も含め見直す』とずっと言い続けていたでしょ」とも語り、今回の「非共産への純化」作戦を確信犯的に実行した様子もみてとれた。

 前原氏の側近は「共産党と候補を一本化すれば、20~30の選挙区で与野党の勝敗が逆転するかもしれないが、自民党政権は倒せない。政権を託してもらえるほどの支持を得るには、党内分裂を招いても共産党との関係を清算する必要があった」と打ち明ける。

 小池氏は、旧民主党が何日も徹夜国会を強いて反対した安全保障関連法を容認し、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の辺野古移設も「着実に進める」と明言する。かつて徹底抗戦していた民進党議員の豹変ぶりに目をつむれば、「現実的な安全保障政策」という「踏み絵」を踏ませたのは二大政党制の一翼を担うためのプラットホーム作りだったともいえる。

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 前原氏が民進党を事実上「解党」し、希望の党への合流を検討していることが明らかになったのは、衆院解散前日の9月27日だ。当時の民進党では、最終的に立憲民主党に身を委ねた前職ですら「野党勢力を糾合し『小池首相』を担げば政権交代だ」などと小躍りしていた。別の前職は「北朝鮮情勢の悪化を理由にすれば、安保法制の踏み絵も踏める。共産党には大局にたって候補擁立を見送ってもらい、安倍首相を倒すことを最優先にしよう」ともあけすけに語っていた。

 小池氏が「これまでをリセットする」と宣言して突如、希望の党代表に就いた時期でもあり、民進党内は総じて「小池劇場に乗れば大丈夫」と楽観していた。逆に、安倍首相は一時、民進党と希望の党が大同団結することに危機を感じたのか、「元気がなくなった」(首相周辺)とされる。

 ただ、ここから前原氏の誤算が2つ重なった。1つは希望の党が独自候補の擁立へのこだわりが予想以上に強く、民進党との候補者調整で軋轢を生んだことだ。

 小池氏の「リベラルは排除する」という言葉ばかりが報道されるが、実態はそう簡単ではない。希望の党側は、小池氏や若狭勝前衆院議員が立ち上げた政治塾の塾生らの擁立に執心し、選挙区に支援組織を持つ民進党出身者の公認申請を拒むケースが少なくなかった。

 小池氏の地元の東京では、衆院選前に民進党を離党した結党メンバー以外は踏み絵を踏んでも公認することを拒まれた。民進党関係者は「党の世論調査を示しながら、希望の党の独自候補で戦っても勝てない地域の候補変更を求めたが、テコでも動かないケースがあった」と振り返る。こうした姿勢が独裁的な雰囲気を醸し出し、「反小池」勢力の拡大や立憲民主党の結党へとつながったともいえる。

 もう1つは、小池氏が衆院選に出馬しなかったことだ。小池氏は「百パーセント出馬しない」と繰り返し語っていたが、額面通りに受け止める向きは少なかった。政権交代を目指す以上、党首が首相指名を受けられる衆院議員を目指さないとなれば、全体の士気に関わるからだ。

 前原氏は10月5日、小池氏と都内のホテルで会談し、衆院選への出馬を熱心に説いた。「出馬する気はなかったが、民進党議員が命運を託す前原氏に説得された」として立候補を決断し、「小池劇場」がもう一幕開ける-。民進党から希望の党に移籍した候補は、こう期待したに違いない。

 自民党は「小池氏が出たらまずい」と危機感を募らせていたふしがある。5日には、私のもとに複数の自民党前職から「小池氏はやはり出るのだろう」「いつ前原氏と再会談するのか」などと問い合わせの電話がかかってきた。

 結局、小池氏は不出馬の態度を変えず、希望の党は誰が首相候補か分からないまま選挙戦に突入した。立憲民主党には希望の党に公認を断られた候補も入ったはずだが、結果的に「筋を通した」というイメージが定着した。

 希望の党は、現実的な安全保障政策を掲げたことで、将来の政権交代を望める素養は手に入れた。しかし、極めて不透明な党内の意思決定過程などを改めない限り、党勢拡大は難しいのでないか。

 ある自民党幹部は、一連の騒動をこう振り返る。

 「私たちは何もしていないんだよ。勝手に野党が盛り上がり、勝手に厳しくなったんだ。心臓に悪い芝居をドキドキしながらみていたら、いつの間にか大勝ムードになったんだ」

(政治部 水内茂幸)