ラスベガス銃乱射 米国の銃規制を阻む「最強のラスボス」 前嶋和弘氏

iRONNA発
銃乱射事件の犠牲者を悼み、目抜き通りに並んだ十字架=6日、米ラスベガス(共同)

 「アメリカは腐っている」。米ラスベガスで起きた銃乱射事件について、ビートたけしがテレビ番組で米国の銃社会をこう揶揄(やゆ)した。日本人的な感覚で言えば納得できるが、これほどの惨劇が起きても米国では銃規制論議が進まない。なぜか。(iRONNA)

 米国で現在、利用可能な銃火器の数は、アルコール・たばこ・火器および爆発物取締局(ATF)の推計によると、2009年のデータで推定3億1千万丁以上あり、生産数はこの10年間で特に伸びている。

 今回の事件で逆に自衛のために銃販売数は急伸していくであろう。銃は比較的小さめの銃火器店で販売されることもあるが、近年では総合型の大型小売りチェーンでの販売も目立っている。最大手であるウォルマートは今や世界最大の銃火器小売店となっており、クリスマスプレゼントを購入する感覚でライフルを買う人も多い。

 では、なぜ銃が増え続けるのか。日本では「全米ライフル協会が強いから」と指摘されることが多いが、それだけが原因ではない。その理由は、大きく分けて3つ考えられる。

マッチョ的思考

 第一に、「銃がどうしても必要」と感じる地域が多く存在することである。そもそも米国は日本の国土の25倍もある。想像すれば分かると思うが、都市部を除き警察などを呼んでもすぐに駆け付けてくれない。そのため、どうしても自衛しなくてはならないという意識が開拓時代から続いている。

 この自衛については合理的な面も確かにある。しかし、私がどうしてもゆがんでいると感じるのはこの国の銃文化である。これが二つ目の銃が増え続ける理由でもある。米国では、父親が息子を野生動物の狩りに連れ出し「男の生き方を教える」といったマッチョ的な文化が、南部や中西部など保守的な地域で根づいている。

 筆者はかつてワシントンやその郊外に約8年住んでいたが、最後に住んだ郊外のアパートで、その文化の一端を知ることになった。そのアパートはちょっとした小さな森と隣接し、たまに愛らしい小鹿が現れた。その姿をみるために毎朝、妻と森を散歩するのが楽しみだった。

 だが、ある日玄関先で管理人らが「鹿を仕留めよう」とうれしそうに話しているのを聞き、強い口調で止めたが、翌日以降、小鹿の姿を見かけることはなかった。「マッチョ的文化」が根づく米国では、銃は格好をつけるのに必要な小道具でもある。個人的には耐えられない。ただ、それが拡大再生産的に大きくなっているのも事実だ。

銃文化にお墨付き

 そして、米国の銃文化にお墨付きを与えているのが合衆国憲法である。日本でも知られるようになったが、銃保有の法的権利は憲法修正第2条の「武装権」に由来する。修正第2条は「規律ある民兵は自由な国家の安全保障にとって必要であるため、国民が武器を保持する権利は侵してはならない」と示しており、個人が「規律ある民兵」にあたるかどうかは米国内でもさまざまな議論がある。しかし、この条項が、銃所有の普及を提唱する人々の法的根拠となっているのは間違いない。

 米国では「銃を持って立ち上がる権利」が基本的人権として認められている。英国から血を流して独立した自分たちの歴史を踏まえて、「隷属からの自由」を徹底的に守ろうとする建国当時の政治文化を象徴しているのである。

 ただ、現代人の目には、この権利が「銃社会アメリカ」を象徴する権利として映ってしまう。他方で、銃規制反対派にとっては憲法上保護されている自由を行使する権利そのものでもある。つまり、この修正第2条があるため、米国では銃が抜本的に減るような気配が全くないのである。修正第2条という「最強のラスボス」は、今後も大きな銃犯罪を米国で生むリスクをはらんでいるのかもしれない。

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【プロフィル】前嶋和弘(まえしま・かずひろ) 上智大総合グローバル学部教授。昭和40年、静岡県生まれ。上智大外国語学部卒、メリーランド大大学院政治学部博士課程修了。専門は現代アメリカ政治。主な著書に『アメリカ政治とメディア』(北樹出版)、『オバマ後のアメリカ政治』(共編著、東信堂)など。