解散の大義 政治は「人として踏むべき道」を進んでいるか 川上和久氏

iRONNA発
衆院解散を表明した安倍晋三首相の記者会見を伝える街頭テレビ=9月25日午後、東京・有楽町

 安倍晋三首相が臨時国会冒頭で衆議院を解散した。「国難突破解散」と首相自ら銘打った今回の解散劇に、メディアは「解散の大義」という言葉をしきりに使って解散の意義を問うが、そもそも過去の解散に一度でも大義なんてあったのか?(iRONNA)

 「大義」を辞書で引くと、「人として踏み行うべき道」「国家・君主に臣としてつくすべき道」とある。国民主権の中で「国家・君主に臣としてつくすべき道」はないだろうが、政治は果たして「人として踏み行うべき道」を進んでいるかどうか。古今東西、歴史をひもといても甚だ疑問だ。だからこそ、時として「大義」という言葉を連綿として受け継ぎながら、政治に警鐘を鳴らし続けているのかもしれない。

 戦後わが国において、日本国憲法施行後に行われた衆院解散は、今回を含めると24回。半面、任期満了に伴う選挙は昭和51年12月5日の1回だけである。いわば、衆議院はどこかで解散するのが当たり前ではある。ちなみに、内閣不信任案可決による選挙は24年と28年の吉田茂内閣、55年の大平正芳内閣、平成5年の宮沢喜一内閣の計4回である。

 つまり、「いま解散すれば勝てる」「少なくとも負けが少なくて済む」という首相の思惑による解散の方がむしろ多数派なのである。「天の声」「死んだふり」といった戦後を代表する政治家たちの解散理由も、選挙に勝つためがミエミエであまり褒められたものではない。では、「大義による解散」はあったのだろうか。

矛盾する野党

 今回の解散は言うまでもなく、安倍首相が「このタイミングなら勝てる」と踏んだ憲法7条第3項による解散だ。既成野党はというと、これまで散々「解散して信を問え」と言っておきながら、安倍首相のタイミングでの解散ということになると気に入らないらしい。

 今年7月の東京都議選で自民党が惨敗したときには、民進党の蓮舫代表(当時)が会見で「解散・総選挙はいつでも受けて立つ。衆院解散に追い込みたい」と語っているし、社民党の又市征治幹事長も「内閣改造でごまかそうとしているが、解散・総選挙を打たざるを得ないところに追い込むことが大事だ」と強調している。

 共産党も8月下旬の時点で「安倍政権に対する怒りの声が全国に広がり、あと一歩で安倍政権を打倒できる。臨時国会で安倍政権を追い詰め、解散に追い込もう」と力を込めている。

 ところが、首相の解散の意向がメディアで報じられると、民進党の前原誠司代表は、受けて立つが、北朝鮮の緊迫した状況での政治空白、森友・加計問題での国会での説明不足などを挙げて「自己保身解散」とこきおろした。幹事長に登用しようとした山尾志桜里議員のスキャンダルが、解散の引き金になったという反省はどうやらないようだ。

カギは無党派層

 そもそも解散に大義もへったくれもない。自分たちに都合がいい時期を選んで解散できる首相、自分たちに都合が悪い時期に解散されることで口汚くののしる野党。こうなるとカギを握るのはやはり無党派層か。有権者もハナから大義などに期待はしていないが、「勝てそうだから」という首相の思惑もあってか、今のところ選挙への関心は低い。

 ただ、このタイミングでの解散に、安倍首相にひと泡吹かせようと野党に一票を投じるという動きは有り得る。もちろん、首相の老獪(ろうかい)な手法に敬意を表し、北朝鮮対応に期待して与党に一票を投じる可能性もあるが、そもそも「反安倍の受け皿」がないとの消去法で棄権する人も出てくるだろう。

 前回衆院選は、投票率が50%台前半と低迷した。新党を結成した小池百合子都知事が「台風の目」になる可能性はあるが、このまま選挙戦に突入すれば、後世から「大義なき解散」にふさわしい衆院選だった、というありがたくない評価をこれまで同様に積み重ねていくことになるのかもしれない。

 「大義」という言葉が政治に警鐘を鳴らし続ける言葉として、今回の衆院選で死滅することは少なくともなさそうである。

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【プロフィル】川上和久 国際医療福祉大教授。昭和32年、東京都生まれ。東大大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。東海大助教授、明治学院大教授などを経て現職。専門は政治心理学、戦略コミュニケーション論。著書に『情報操作のトリック』(講談社新書)など。