何と10期目! いつまで続くJOC竹田体制 現規則では2019年に退任だが

スポーツ異聞
まれに見る長期政権。10期目に入った竹田JOC会長

 公益財団法人、日本オリンピック委員会(JOC)の臨時理事会が7月4日、東京都渋谷区の岸記念体育会館で開かれ、竹田恒和会長(69)がまたもや再選した。任期は2年で、竹田会長は実に10期目に入る。

 任期途中で急逝した八木祐四郎前会長から2001年10月に引き継いで以降、竹田氏がJOCのかじ取り役を担っている。今任期を全うすれば、約18年にも及ぶ、過去に例のない“超長期政権”だ。田舎の村長でも、ここまでの“長期政権”にはちょっとやそっとでお目にかかれないだろう。ちなみに、会長は理事の互選で決める。

 JOCは、54競技団体が加盟(ほかに準加盟団体5、承認団体4)している、いわば競技団体の“総本山”。選手強化とともに、五輪をはじめ国際大会への派遣などが主な仕事だ。国際オリンピック委員会(IOC)の“日本支部”的役割も担っている。五輪で選手団が結成された際、団長を務めるのはJOC会長か選手強化本部長が多い。実際、竹田会長は02年ソルトレークシティー冬季五輪と04年アテネ夏季五輪で選手団団長を務めている。

 もともとは、日本体育協会(戦前は大日本体育協会)の内部にある委員会であったが、日本がソ連のアフガニスタン侵攻に抗議するため、モスクワで開催された1980年の夏季五輪をボイコットした反省から、「政治とスポーツ」の分離を唱え、89年に、JOCが法人格の取得の手続きを取った。その際に、トップの名称を委員長から会長に“格上げ”したのがJOC会長の始まりである。当時、全日本スキー連盟会長だった堤義明氏が就任した。

 2年後の91年に、財団法人を取得し、体育協会から完全に分離独立。その後、堤氏が辞任し、後任に“フジヤマのトビウオ”として知られる日本水泳連盟会長(当時)の古橋広之進氏がJOC会長についた。

 古橋氏の後継者が八木氏であり、その後、バトンを受け継いだのが日本馬術連盟副会長の竹田氏である。完全独立後、3代目に当たる。馬術競技で72年ミュンヘン五輪、76年モントリオール五輪に出場した“オリンピアン”。もちろん、それだけでは会長になるのは物足りない。父親が旧皇族の竹田宮だったことが大きい。五輪の結団式、解団式などで、皇族と接する機会が多いからだ。

 当初は、JOCの選手強化の大きな役割の一つとして、選手の強化費を競技団体や選手に重点配分するものがあった。それなりの存在意義があったのである。ところが、強化費は、サッカーくじ(toto)から配分されるようになると、強化費配分の主導権は日本スポーツ振興センター(JSC)に移った。JOCの大きな仕事は失われたのである。

 存在感もなくなっている。昨年、東京都の小池百合子都知事が、バレーボール会場として有明アリーナ新設など2020年五輪の施設を見直そうとした問題では、JOCが“声をあげなかった”のは事実だ。国、東京都、組織委員会の“谷間”で埋没してしまっているのが現状だ。

 現在、進行中の日本バレーボール協会の会長不在問題や、日本ハンドボール協会の“内紛”など、加盟競技団体の“お家騒動”が相次いでいるが、解決のための指導力を発揮できないでいる。JOCの鼎(かなえ)の軽重が問われている。

 今回の臨時理事会で、全柔連会長の山下泰裕氏(60)がJOCの選手強化本部長に就任した。一部、スポーツ紙などは東京五輪へ“朗報”と受け止めたが、実際、山下氏は他競技団体の選手を直接指導するわけにもいかない。手の出しようもない。

 話を竹田会長に戻すと、竹田氏の任期が切れるのは19年。五輪の前年だ。規則では、70歳以上の者は会長になれない。竹田氏は今年11月に70歳になる。さて、どうするか。規則を改正し、11期目に強行突入するのか、他のフレッシュな会長で日本開催の五輪に臨むのだろうか。

 ■竹田恒和(たけだ・つねかず) 1947年11月1日、東京都生まれ。旧皇族竹田宮恒徳王の三男。慶応大学を卒業。72年ミュンヘン五輪、76年モントリオール五輪に馬術競技で出場。2001年からJOC会長を務め、12年にはIOC委員に就任。招致委員会委員長として20年東京五輪の実現に尽力した。