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【評伝】村上正邦氏 憂国の士だった「参院のドン」

村上正邦元自民党参院議員会長
村上正邦元自民党参院議員会長

 「参院のドン」と呼ばれた村上正邦元自民党参院議員会長が亡くなった。

 KSD事件をめぐり平成13年に議員辞職し、受託収賄の罪で逮捕された。収賄の事実はないと無実を訴えたが実刑判決が確定した。

 「悔しくて悔しくて眠れないこともあった」

 21年5月、栃木県内で服役中の村上氏と面会した際、落ち着いた表情でこう語ってくれたことを覚えている。

 その思いがパワーになったのだろう。服役後は永田町に事務所を構え、政界に一定の影響力を持った。メディアやブログで民主党政権や安倍晋三政権に対し保守の立場から批判をすることも多かった。

 再審請求をする一方、司法による冤罪(えんざい)の問題に取り組んだ。独自に東日本大震災の慰霊式典を催し、先の大戦の戦没者の遺書を英訳した「やすくにの遺書」の出版に尽力した。

 2世、3世や官僚出身の議員が多い自民党の中で裸一貫のたたき上げだった。

 「筋を通さない人間はだめだ」

 怒る姿に迫力があったが、人とのつながり、縁を大切にしたことが実力者への道を開いた。

 参院自民党の幹部時代には毎朝、国会に来て真っ先に訪ねるのは共産党の控室だった。全ての野党に顔を出してから自民党の控室に入るまめな面があった。

 森喜朗政権誕生を主導した5人組の1人だが、村上氏の「あんたがやればいいじゃないか」の一言で決したのは有名な話だ。

 ただ、政局のキーマンとのみ村上氏を記憶するのは間違っている。その真骨頂は国の行く末を憂い、自民党政治の左傾化を食い止めようと努めた点にある。

 平成7年、加藤紘一政調会長らは与党社会党の意をくみ、先の大戦は侵略戦争だったとする戦後50年決議を衆参両院で通そうとした。参院幹事長の村上氏は抵抗し、参院で決議をさせなかった。国会決議化を防いだのである。自民党内にもあった夫婦別姓制度導入や外国人地方参政権付与の動きも村上氏がいればこそ鎮(しず)まった。憲法改正や靖国神社参拝、皇位の男系継承の大切さを訴え続けた。

 「花吹雪我(わ)が一生の試練なほ」

 上告棄却を受けた20年3月に詠んだ歌だ。

 最近は体調を崩していたが、再審請求棄却を受け、特別抗告の準備を進めているさなかの訃報だった。(論説副委員長 榊原智)

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