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村上正邦・元自民党参院議員会長が死去

KSD事件にからむ証人喚問で答弁する村上正邦氏=2001年2月28日
KSD事件にからむ証人喚問で答弁する村上正邦氏=2001年2月28日
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 自民党参院議員会長、労相などを歴任し、「参院のドン」と呼ばれた村上正邦(むらかみ・まさくに)氏が10日午前4時半、埼玉県朝霞市内の病院で死去した。88歳。家族葬の予定。

 福岡県出身。拓殖大卒。参院議員秘書を経て昭和55年の参院選全国区で初当選し、連続4期務めた。

 けんか腰の発言で物議を醸すこともあった半面、国対畑が長く、根回しや裏方の仕事を得意とした。また、保守派を代表し、参院の独自性を訴える政治家として頭角を現してきた。

 平成4年に宮沢喜一改造内閣の労相で初入閣。その後参院自民党の幹事長、議員会長に就き、存在感を増した。10年には参院議員初の自民党派閥領袖(りょうしゅう)となる「政策科学研究所」(中曽根派)会長に就き、11年に亀井グループと合併した「志帥会」(現・二階派)の初代会長に就いた。同年に行われた「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」の運営に尽力した。

 小渕恵三首相が倒れた12年、青木幹雄官房長官、自民党の野中広務幹事長代理と亀井静香政調会長(いずれも当時)とともに森喜朗政権発足を導き、「5人組」と呼ばれた。同年に参院憲法調査会の初代会長に就任したが、13年2月、「ものつくり大学」設立に関する国会質問などの見返りに現金を受け取ったとされる「KSD事件」の責任を取って議員辞職した。同年3月に受託収賄容疑で逮捕、起訴、20年に実刑が確定、収監された。

 21年に仮釈放。その後は出版やブログを通じて憲法改正を訴えたり永田町の現状を批判したりするなど積極的に発信していた。

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