PR

ニュース 政治

中曽根元首相死去「首脳外交」を定着 米中韓関係構築

 58年5月に米ウィリアムズバーグで開催されたサミットでは、対ソ戦略をめぐって米仏首脳の意見が対立していた。中曽根氏は「(われわれが)決裂して利益を得るのはソ連だけだ」などと述べて西側の自由主義陣営の結束を呼びかけ、フランスのミッテラン大統領を説得した。これをきっかけに合意文書がまとまり、議長国のレーガン氏を助けることになった。

 中国のカウンターパートは胡耀邦中国共産党総書記で、日中友好をめぐる「平和友好」「互恵平等」「長期安定」の原則に中曽根氏は「相互信頼」を加えた。

 中曽根氏は、終戦から40年になる60年8月15日、戦後首相として初めて靖国神社を公式参拝した。いわゆる東京裁判A級戦犯の合祀(ごうし)問題と絡めて日中双方から批判が強まり、翌年以降の参拝を見送った。参拝を見送ることで守ったはずの胡氏も、後に失脚した。

 首相公式参拝の中止は、今日になっても中国の対日カードに利用されるようになった意味で負の遺産になったといえる。(今堀守通、力武崇樹)

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ