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【歴史の転換点から】江戸無血開城の「点と線」(6)西郷と勝 家近良樹教授に聞く(上)西郷の離れわざ

 そう考えたさい、慶喜の責任は非常に重いと思います。新政府軍が目の敵にしたのは幕末に政権を担当し、『幕府ありき』を念頭に薩長をはじめとする諸藩に圧力をかけていた慶喜や会津藩・桑名藩でした。でも会津・桑名両藩とも結局は幕府の指令に従っていただけです。ですので、鳥羽伏見の戦いの後、江戸に戻った慶喜が『すべての責任は自分にある』として潔く腹を切ったならば、会津藩に敵意が集中することもなく、会津戦争の悲劇は起こらなかったのではないでしょうか」

 --江戸無血開城とさきの戦争におけるポツダム宣言の受諾-終戦というプロセスを比較することは可能でしょうか

西郷と鈴木貫太郎の「離れ技」

 「作家、阿川弘之さんのエッセー集『天皇さんの涙』のなかに、『鈴木貫太郎提督の風格』という作品が収載されています。阿川さんのメモをもとに、海軍の元士官や海軍と縁の深かった元外交官、新聞記者らが出席した『水交座談会』を再現した一文です。そこには『敵側から和平内閣と見られてゐる内閣の首班(鈴木のこと)が、卓叩(たた)いて東條(英機=開戦時の首相)そつくりの徹底抗戦論を唱へたりするんだもの、あの真に迫つた韜晦(とうかい)ぶりには高木さん(惣吉、密命を帯びて終戦工作に従事した海軍少将)ですら最後までだまされてたのかも知れません。その一見態度曖昧な首相が、時到るや阿●(あうん)の呼吸で陛下の『聖断』を導き出し、急転直下一気呵成(かせい)に戦争終結の大業を成し遂げてしまふんです。陛下の御信任も篤かつたんだけど、並の政治家にやれる離れ技ぢやなかつた』という証言が紹介されています。

 西郷は、江戸無血開城という歴史の転換点で鈴木と同じ役割を果たしたのだ、と感じています。心中では『慶喜が恭順すれば助命。江戸での全面戦争は回避』を期しながら、部下たちにはまったく逆の言動をしてみせる。ところが、勝や山岡鉄舟の調停、英国公使だったパークスの反対を機に一気に身を翻して『無血開城』へと導く。まさにポツダム宣言受諾に至るまでの首相・鈴木貫太郎に匹敵する『離れ技』です。

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