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【歴史の転換点から】江戸無血開城の「点と線」(2)西郷と勝 虫のよい嘆願

 前回、当時の旧幕府は「ボロ船」であり、開城は「無条件降伏」とする見方を紹介したが、ここは海音寺に軍配を上げたい。旧幕府側はなお超弩(ど)級の「巨船」であって「無条件降伏」などを受諾する道理はない。下手に新政府側に譲歩するようなことがあれば、山岡が言ったようにその時点で「武士の恥」として不満分子が暴発し、一気に全面戦争にのめり込んでゆくことだろう。

 だが最大の問題は、錦の御旗を掲げて「15日に総攻撃」と全軍に発令していた新政府側が、そんな旧幕府の論理に理解を示すか-である。

 事実、約3週間後にあたる4月4日、江戸城に届けられた最後通告には、明け渡した江戸城は尾張藩(戊辰戦争中、徳川御三家のなかで最も新政府側に協力的だったことで知られ、旧幕府側の怒りを買っていた)預かり▽軍艦・武器は一旦すべて新政府側に引き渡された後、相応分を徳川家に返却する-などとある。要するに旧幕府側「嘆願」の否定である。

西郷のなぞ

 ところが、だ。江戸城総攻撃を翌日に控えた3月14日、江戸・田町で勝との2度目の会談に臨んだ西郷は言った。

 「これは自分一人で決められる内容ではござらぬ。明日ここを発ち、駿府にご在陣の東征大総督、有栖川宮熾仁(ありすがわのみやてるひと)親王に報告し、総督府内で協議いたしましょう」

 このとき、西郷の一存で総攻撃が延期されたことによって、江戸城の無血開城への道が開いた-わけだが、その裏では虚々実々の駆け引きが行われていた。(編集委員 関厚夫)

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