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【歴史の転換点から】江戸無血開城の「点と線」(2)西郷と勝 虫のよい嘆願

 また茂政は「江戸城総攻撃」の予定日である3月15日、病気を理由に徳川家とは無縁の支藩・鴨方藩藩主、章政に家督を譲る。山岡たちはこうした動きを大なり小なり察知しており、「備前藩預かり」は敵中に主を差し出す「辱め」と考えたのだろう。

 さて問題は(2)~(4)である。軍艦と武器すべての引き渡し要求に対し、旧幕府側は「ともにとりあえず徳川家の管轄とし、(減封など)徳川家に対する最終処分が決まり次第、相応分を返還する」。また江戸城については「明け渡すが、そのまま田安家(8代将軍・吉宗の次男を祖とする『御三卿(ごさんきょう)』の一つ。当主はのちの徳川宗家16代の家達)にお預けいただきたい」との内容を盛り込んだ嘆願書を、勝を通じて西郷に手渡した。

 何のことはない。徳川慶喜こそ水戸で謹慎するが、「あとは現状維持」という虫のよい「嘆願」なのだ。徳川家は諸藩を凌駕(りょうが)する400万石という財政規模を背景とした陸海軍を保持。明け渡し後の江戸城の「主」は徳川家後継の最有力者である。たとえ「無血開城」が実現しても、その圧倒的な経済・軍事力を温存した徳川家は新政府にとって一大圧力となるだろう。

「ボロ船」「無条件降伏」にあらず

 「大東亜戦争の敗戦は、一滴の余力のないまでに戦って、しかも天皇の宸断(しんだん)による降伏だったから、部分的には多少のことがあっても、全体としては何事もなくおさまったが、これ(徳川慶喜をはじめとする旧幕府首脳)は前哨戦(鳥羽伏見の戦いのこと)だけの負けで逃げ帰ったのだ。戦力は十分にあるとの自信がある。薩長と一部の公卿とによって朝議が専断されているとの憤りがある」

 作家、海音寺潮五郎は著書の『江戸開城』で、旧幕府内で当時、醸されていた空気をそう解説している。

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