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【歴史の転換点から】江戸無血開城の「点と線」(1)西郷と勝 悪魔の決意

勝海舟(福井市立郷土歴史博物館所蔵)
勝海舟(福井市立郷土歴史博物館所蔵)
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 「少しでも和平をにほはせれば、軍は一層反動的になる。鈴木さんは他には真意を秘して、結局、終戦といふ港にこのボロボロ船を漕ぎつけた。吾々は今にも沈みさうなボロボロ船に乗つてゐたのだ。軍はそれで沖へ乗出せといふ。鈴木さんは舳(へさき)だけを沖に向けて置き、不意に終戦といふ港に船を入れて了(しま)つた」

 文豪・志賀直哉が随筆「鈴木貫太郎」でつづったそんな一節を洒脱に引用しながら半藤さんは「勝海舟また然り、ボロ船の船長と断言したくなってくる」と結んでいる。

 はたして勝が背負った旧幕府は「ボロ船」だったのか、また勝は「無条件降伏」に導こうとしたのか-については実はそれこそ「異論」があるのだが、まずは勝自身に当時について語ってもらうことにしよう。

「悪魔の決意」のウラ側

 「もし百万の生霊(江戸在住の一般民衆や武家のこと)を救えないのならば、自分がまずこれを殺してしまおう-と断然決心して策をめぐらせた」

 慶応4(1868=後の明治元年)年3月(旧暦)。すでに品川まで駒を進めていた新政府軍参謀、西郷隆盛との初会談に臨もうとしたさいの心境だという。当時、事実上の旧幕府陸海軍総裁である「軍事取扱」だった勝海舟は「慶応四戊辰(ぼしん)日記」のなかで、会談初日となる13日直前の項をそう締めくくっている。

 「百万の生霊を殺してしまおう」-とは天を恐れぬ悪魔のごとき決心である。が、勝にしてみれば思案を重ねた結果だった。「日記」の同じ項には以下のような記述がある。

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