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【歴史の転換点から】「本能寺の変」の真相に迫る(4)細川護熙氏、光秀の大河「成功を祈る」

 しかしながらその教養のあまり、政治家として、また人間として、秀吉などと比べると、泥臭い根回しや強力な仲間や味方つくりについては劣っていたのではないでしょうか。だから「織田政権」下では「近畿管領」ともいうべき立場だったにもかかわらず、本能寺の変の後は畿内の一部しか固めることができませんでした。世は下克上・弱肉強食の戦国時代です。「謀反の首謀者」とはいえ、あれだけ人がついてこなかったというのはそんなところに原因があるのでしょう。

 若干身びいきになりますが、後年の関ヶ原の戦いの前哨戦で、1万5000人もの西軍が、東軍に属した細川家の本拠・丹後に攻め寄せたさい、幽斎はわずか500人の手勢で本拠の田辺城(京都府舞鶴市)に籠城し、30倍もの相手を2カ月近くにわたってくぎ付けにしました。ためにこの大軍は肝心の関ヶ原の戦いで西軍に加わることができなくなり、徳川家康率いる東軍が完勝する要因の一つとなりました。

 戦後、家康が幽斎にほうびをとらせようとすると、幽斎は再三固辞したうえでこう言ったそうです。「田辺城攻めの西軍の中にはわれらと志を通ずる者どもがおりました。拙者へのほうびの代わりに彼らの所領をご安堵ください」と。

 実際、包囲軍のなかには幽斎にとって和歌や能の弟子たちがいて、彼らの動きが鈍いために城攻めがうまく機能しなかったそうです。そういう人的なつながりの広さ、ある種の徳については光秀の場合には少し足りなかったのではないでしょうか。彼に学芸や武芸の弟子がたくさんいたとは聞きませんから。

『麒麟がくる』とガラシャ

 来年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』は光秀が主人公だそうですね。実は、前々から熊本県をはじめとしてゆかりの地から「大河ドラマの主人公にはぜひ光秀の娘で忠興夫人でもあった細川ガラシャ(玉)を」といった運動があり、私も協力を求められました。

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