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【歴史の転換点から】「本能寺の変」の真相に迫る(1)明智光秀は「祟り神」だった

 御霊神社からさらに北北東に約20キロ。旧丹波と旧丹後の国境にあり、「鬼伝説」で有名な大江山に3体の鬼を配した「モニュメント」が建てられている。

 棟梁(とうりょう)だろうか、1体の鬼が南東の方角を指さし、その先にある京の都をめざすかのように歩みを進めている。筋骨隆々で金棒を右手にする別の1体は、顔をやや後方に向けながらこの棟梁についてゆこうとしているようにみえる。そして少し小柄な3体目の鬼は、この2体から距離を置き、苦悶(くもん)ともいえる表情をみせながら、大きく体をゆがめている。

 制作したのは彫刻家、成田亨。「アルカイック・スマイル」(古式微笑)を浮かべた初代ウルトラマンやさまざまな怪獣たちをデザインしたことでしられる。彼がこの鬼たちを創造したさい、その頭のどこかに、「変」を決行するために夜を徹して行軍する光秀とその家来の姿があったのではないだろうか。

 その光秀たちが本能寺を目指して越えた、京と丹波の国境にある老ノ坂峠には別名がある。やはり「大江山」という。源頼光が酒呑童子を退治するという「鬼伝説」はもともと、こちらが発祥なのだという。

 437年前、光秀は領国・丹波の北方にある大江山を背に亀山城を発し、もう一つの大江山を越えたとき、主君・信長の首を狙う鬼と化した。

 なぜか。

 その理由をわれわれに伝えているのが、前述の細川幽斎と忠興である。=(2)へ続く

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