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【歴史の転換点から】「本能寺の変」の真相に迫る(1)明智光秀は「祟り神」だった

  天正10年6月1日夜、「敵は本能寺にあり」の思いを秘して光秀が1万数千人の軍勢を発した亀山城。現在この城跡地は、宗教法人「大本」が神苑として整備した「天恩郷」となっている。「光秀時代」を現代に伝える唯一の遺構である石垣が一部残されており、一般観光客も申請すれば見学できる。広報担当者によると、「見学者は、いま徐々に増えているといった感じですが、大河ドラマ『麒麟がくる』の放映が迫る今冬ころから、その数はさらに増えていくものと思われます」という。

神か、はたまた鬼か

 JR福知山駅から北北東へ700メートルほどの市街地に光秀を事実上の主神としてまつった神社がある。地元では「ごりょうさん」と言われて親しまれているそうだが、正式な名称は御霊(ごりょう)神社。「御霊とは非業の死を遂げた人の霊のこと。奈良時代末から平安時代にしばしば疫病が流行、それを御霊の祟(たた)りであるとしてその怨霊を鎮めるために祀(まつ)ったのが御霊神社である」(日本大百科全書)という。

 福知山にこの御霊神社が建てられたのは「本能寺の変」から約120年後の宝永2(1705)年。前宮司の岡部一稔さん(83)によると、創建について記された「明智日向守祠堂記」には「福知山の人々は百年にわたって光秀公から受けた厚い恩を忘れてきた。この地が火事や洪水など次々と災いに見舞われるのは、中傷によって太宰府に左遷され、失意のまま客死した菅原道真公の魂が雷と化して都を襲ったように光秀公の魂の祟りであろう。ゆえに堂を建て、光秀公をお祀りする」などと記されている。つまり、光秀は“祟り神”なのだ。

 国文学と民俗学の巨星、折口信夫は「かみ」と「おに」は同義と考えたという。また平安京時代には「御霊」は「鬼」とも目されていた。光秀もまた、「神」や「御霊」、そして「鬼」をまとっている。

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