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【日曜に書く】ソ連に振り回された共同宣言 論説委員・河村直哉

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北海道・根室半島の納沙布岬(左下)沖に浮かぶ北方領土の歯舞群島。先にある色丹島は雲に遮られ肉眼では望めなかった=2016年12月
北海道・根室半島の納沙布岬(左下)沖に浮かぶ北方領土の歯舞群島。先にある色丹島は雲に遮られ肉眼では望めなかった=2016年12月

 1956(昭和31)年の日ソ共同宣言に至った経緯を見ていると、日本はソ連に振り回されたという感が強い。日本として本意のものではなかった。

抑留者を「人質」に

 宣言は平和条約締結後、北方領土のうち色丹(しこたん)島、歯舞(はぼまい)群島を日本に引き渡すとしている。同年10月、鳩山一郎首相らがモスクワを訪ねて調印した。

 国論は割れていた。当時の産経新聞によるとこの前月には、財界首脳が鳩山首相の事実上の引退を要望した。また自民党の反主流派が訪ソに反対の動きを見せた。残る択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島を実質的に失うことになる、という声は世間に強かった。

 昭和29年末に首相になった鳩山は、ソ連との復交に前のめりだった。ソ連はそこにつけこんだ。機を逃さず日本にアプローチし、まず駐英大使経験のある松本俊一を全権として、同30年6月から交渉が始まった。まだ多数の日本人がソ連に抑留されていたころである。

 松本の回想録『モスクワにかける虹』によると、松本は抑留者を交渉開始とともに送還することや、領土問題について意見交換することなどを提起した。

 ソ連側は、抑留者の送還は平和条約を調印して解決される、とした。抑留者はいわば人質に取られたわけである。

 領土問題についてソ連は当初、解決済みとして取り合わなかった。途中から色丹、歯舞を引き渡す意向を見せたが、ほかは頑として認めなかった。交渉は物別れに終わった。

日本を手玉に

 その後もソ連は日本を手玉に取っている。松本の前掲書によると、ソ連は北洋の公海上に一方的に漁獲高の制限を設けた。北洋漁業が打撃を受ける日本は、平和条約の発効などを前提とした漁業条約をソ連と結び、再び復交交渉に持ち込まれた。

 ソ連は日本の国連加盟にも反対していた。抑留者や国連という有利なカードを持ったまま、日本を交渉に引きずり出す魂胆だったと思われる。

 外相の重光葵(まもる)を首席全権として交渉が再開された。ソ連は択捉、国後の返還は決して認めず、溝は埋まらなかった。

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